思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「アベノミクス」という言葉にみられる救いがたい小児病ーーどこまで堕ちるのか。

2014-12-11 | 社会批評

主権者は国民であり、主権者の「一般意思」を代行するのが民主政における政治家です。これは原理中の原理であり、異論反論の余地がない話。

首相とは、その主権者の意思を実行する最高責任者です。

もしも、首相の個人的な想念、思想や信念により政治を行うことがあれば、民主政ではなく、独裁政治に陥ります。

選挙で選ぶのは、上記の民主政の大原則を踏まえた上での政策選択ですが、いまの状況は、そうではなく、極めて危うい事態です。憲法を内閣の一存で解釈替えし海外への武力派兵を可能とし、大多数の法曹関係者が危惧を抱くスパイ法を議員の数で通し施行し、武器輸出禁止の日本政治の大原則も閣議で瞬時に変えてしまう。戦前の「天皇現人神」思想に則る靖国神社を首相が参拝することで、民主政の原則を破ると同時に、被害国の怒りや西側諸国からの顰蹙を買い関係を悪化させるーーーーまったく公共性をもちません。

その見本が、アベノミクスという言葉です。

自分の名前をつけた経済政策を争点にする戦略で、上記の民主政の原則に反する行為を話題にすらさせない、というわけですが、ここで「目くらまし」として使われている、自分の氏を冠したアベノミクスという政策名(ただのキャッチコピーに過ぎない軽い言葉ですが、内実はすでに終わっています)により、公共性そのものであるはずの選挙を行う、というのですから、評しようもない話です。

ただただ《小児病》と呼ぶ他はありませんが、《自己想念の絶対化》という彼の人間性を明瞭に表すのが、自分の名をつけた政策名であるわけです。公共世界の私物化の見本といえるでしょう。



わたしは、どんなに不利な状況にあろうとも、そうだからこそ必ず選挙に行き、この流れを批判する人と政党に一票を投じます。戦前社会への逆戻りは誰のためにもなりません。


武田康弘 (2014年11月22日・62歳)

コメント (1)
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