勝負の面白さも分かります。
独特の緊張感も分かります。
でも、わたしは、内的な充実、深い納得、内から湧き出る悦びの世界にはるかに大きな価値を感じます。
勝負にたずさわる人や、勝負好きの人は、「勝負の人生」の充実があるでしょう。分かりますし、それはそれでよいでしょう。
けれど、わたしは、わたしの内から立ち昇る意味充実の日々を送ります。
静かに広がる楽しみの世界を生き、それを生徒や友人たちに伝える生き方をします。
外的な刺激を求めるのではなく、深みのある豊かで暖かな人生を送ります。
芸能とスポーツ勝負ばかりを派手に伝えるマスコミ人は、とても偏った人生観をもっている、わたしはそう思います。
「私」の沈思=精神の充実に応える世界は、何より人間味に溢れた優れた演奏による音楽です。コマーシャリズムや権威主義(N響がその象徴)とはまったく無縁の音楽です。エロース溢れる豊かな音楽に言葉はいりません。お喋り人よ、黙れ! 小賢しい批評家よ、黙れ!です。
まあ、音楽の世界も現代ではコンクール主義で、勝ち負けの人が大勢入り込んではいますが、そんなものとは無縁の「ほんもの」を味わえばよい、わけです。「有名人」を追いかけるのでは、勝ち負け世界の住人とまったく同じです。
いま、レナード・バーンスタインが指揮するマーラー3番の終楽章が終わりました。全身に鳥肌が立っています。なんという愛の歌か!この世には、これほどまでに美しい音楽ー言葉にならぬ深い感動があります。
(注)本題とはズレますが、写真のバーンスタインのマーラー交響曲全種(たぶんはじめてのマーラー全集だった)は、分かりよく若々しい演奏ですが、必ずしも最高水準の演奏とは言えません。
クレンペラー盤の形而上的深さの音楽を知っている方が聞けば、、軽いな、とか、アメリカの限界、とかと思われるでしょうし、その後に出たよい演奏の前には色あせてしまっているものもあります。
総じて感情が先走っている、と言えます。ただ、3番の終楽章の「愛」は、バーンスタインにピッタリ合っているのです。感動美!
武田康弘