思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

昨日の「恋知の会」ーー実存であることの意識化こそがフィロソフィ(恋知)。

2015-04-09 | 恋知(哲学)

昨日の「恋知の会」

「実存」という考え方こそがほんらいのフィロソフィであること、

私の生き方=価値意識のありようを繰り返しとらえ返す営みがフィロソフィであり、

「私」は、社会や政治に還元されないから「人間」であり、
逆に、社会的フィロソフィとは、「私」が「私的生活」に閉じ込められてしまう不幸から脱出し、広く社会・国・政治全体を「私」の ものにする面白い(自由と責任をもつ)営みであること。

そういう意味で、どこまでもフィロソフィは、実存(=誰もが平等で自由なただ一人のかけがえのない「私」であること)の 意識化のこと。

民主制と実存の原理のもと、みなが柔らかくつながれる市民社会をつく る実践を広げたいな~~~~~~というのが結論でした。



武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする