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演奏評
絶え入るような美しさ、は、なし。
ベルリオーズの精妙で霊感に満ちた世界は、なし、でした。
迫力を望むのは、基礎体力のなさを悲しくなるほどに露わにする都響ではとても無理。弱々しい。
海外から来日するオケと比べてはいけないと思いつつ、つい愚痴ってしまいます。
一人ひとりが、心肺機能の強化や筋トレをして身体から鍛え直さないと、欧米の音楽の魅力はとても開示できない、という大昔からのわたしの思いをまた繰り返す感想になってしまいます。真によい=魅力ある音楽をしたいという「欲望」があるなら、チャレンジですよ。音楽は、心身全体でつくり奏でるもの。アクションも小さすぎで、心の弱さがあらわれていました。
合唱も人数ばかり多くて迫力がないー表出力が弱いので、小さな声としか聞こえないのです。合唱者がラテン語の発音に自信がないためか細かな点が気にかかり、腹から→額の中央から声のエネルギーを放出できません。オケと共に「個人」としての強さがないのは、日本人に共通する問題です。
Sanctusでテノールのスミスの独唱が入ると俄然「色」が出ました。やはり、優れた外国人の助っ人が必要です。鈴木雅明・バッハコレギウムジャパンも同じで、昨年12月の「メサイア」全曲でも、優秀なテノール(ダニエルズ)とバス(ウィリアムズ)、彼ら外国人のクリアーで強い表出力があって演奏が成立していました。今回も同じ。
今日は、難曲・大曲に挑んだ点のみ評価します。
でも、もう、40年も昔、ここ文化会館で日本フィル解散時、小澤征爾が挑んだベルリオーズ「テ・デウム」は、感動的なものでした。日本人でも出来るはずです。
武田康弘