迷惑がかかるから~~ とか、
嫌われるのがいやだから~~~とか、
顰蹙(ひんしゅく)を買うのがこわくて~~~とか、
思う人が多すぎます。
ほんとの意味でよく生きるには、
まずは、なんでも自分のよいと思うことをやってみる、言ってみるという「小さな勇気」(顰蹙を買う努力・笑)が大切です。
人間の人間らしい生は、自由に考え、自由に発言し、自由に行為するのが基本であり、その上に、他者からの眼差しや言葉に応えるのが「正解」なのですが、これを逆に思っている人が、わが日本人には多すぎます。
生の基本の態度が逆転しているので、「幸福をつくらない日本というシステム」が出来てしまうのですね。他者におびえたり、他者に遠慮したりするのは、かえって全体を不幸にします。
まず、思うように言ってみる・やったみる。その結果、他者からクレームがくれば、対話して変えるべきは変える、謝るべきは謝る、というのがほんとうの生き方です。
はじめに他者の思惑や、どうでもよいような規則(もどき)を気にして小さくなっていたら、プラスの世界は拓けず、ただマイナスがないようにと、まるで役所勤めの人に多く見られるようなツマラナイ人間になってしまいます(そうでない公務員の方もいますが)。
管理社会を肯定してしまうと、「私」の悦びが減るだけでなく、みなの悦びの可能性を底から奪うことになります。他者を気にしてビクビクするような生き方・言動は、全体をジリ貧にさせる「深い悪」なのです。そのことの自覚は何より大切です。
生きるとは、互いに迷惑をかけ合うこと(小さな悪を許容し合うこと)であり、それを避ければ、緩慢な死に至ります。
イキイキ・ドキドキ・生の発露は、自由な言動からしか生まれません。
でも、「これは我慢できない」と思うことは、明瞭に爽やかに相手に伝える、という態度を取ることです。後腐れのないサッパリとした言動が何より大切です。
内輪で、陰で、裏で、というのでは、エロースに乏しいつまらない人生しか得られません。発言や態度表明も匿名でしかできない人生では哀れもいいところですね。あなたは大丈夫ですか?(失礼)。
武田康弘