思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

名前のついているものしか分からない。内からの湧出が幸福の条件。

2015-11-08 | 恋知(哲学)

名前のついているものしか知らない=分からない人が多いようです。

運動をするのは、競技スポーツ。〇〇△と名前がついていることをする。
勉強は、決まっているプログラムを進行させること。受験勉強しかしらない人がほとんど。
大人になったら、〇◇教養講座。エクササイズを教えるなんとか教室。

内発的といわれても何のことか分からない。

20世紀最高の作品をつくったマイヨール(ロダンは驚嘆・嘆息)が本格的に彫刻を始めたのは、50歳近くになってから。内側からの湧出そのもの、内的充実の象徴です。
小説の神様とまで言われた志賀直哉は、「文法は知らず(実際、試験では最低点)、わたしは、自分自身の律動で書く」と言いました。
アインシュタインは、赤点で高校中退、大学も落ち、数学の才能を認められて拾われたのです。いつも光速で旅したら世界はどう見えるか?と考えて(夢想して)いました。

こういう例は限りなくあり、あげたらきりがないのですが、
どういうわけか、心の奥深くまで既存の価値評価に囚われて、自他の評価が恐ろしく紋切型。

自分が想うことを育てる方法を知らず、いつも名前のつくこと、名前がよいと言われることをする。既存の価値を超えようとする人は、別の名前(権威)を追い、従う。

名前のつかないことー心を見、心の声を聴き、心の赤裸々な想いを知るー名前に囚われない言動を知らないと、死ぬまでイノベーション(内発的変容や発展ではなく、外なる価値を内面化させてそれを追いかける)という名の罠に嵌ったまま。
永遠の遁走。いつもいつも忙しく逃げ回る(笑)そして、永遠に幸福が来ない。


武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする