思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

個人レベルでは、状況に応じた「不道徳」や「いい加減」は、とても大切です。

2015-11-13 | 恋知(哲学)

いま個人の趣向や癖、個人の個人の人間関係までをも規制するかのような思想=発言が、相次ぎます。
えっ、なんでニュースになるの?ということが語られ、書かれるので、日本中、頭おかしいんじゃないの?とわたしは思います。

高校生と付き合う学校教師云々!?それがなんでニュースなのか?二人が合意していれば問題などあるはずないでしょう。
ニュースというのは、公共的な話を伝えるべきです。

個人的な領域にまで「正解」を求めるのは、人間性を抑圧するファシズムの思想であり行為です。
違憲政府がのさばっている現実に厳しくすべきなのに、個人的レベルの話をスキャンダラスにニュースにするのは、個人抑圧の根源悪です。

そもそも個人レベルで、適度な反社会性や不道徳やいい加減さがない社会は、不健全な恐怖社会です。
厳禁の精神こそが狂気の国家を生みます。
ギリシャ神話(プラトン「饗宴」)では、固い規律、厳禁の神であるアナンケを、恋愛の神であるエロースが打ち破ったので、神々の間に平和が訪れ、やわらかな秩序ができたと言われます。

固まじめは、自他を不幸にし、かえって内的な善美への憧れを育てません。状況により、不道徳と思われることや羽目を外すことも必要です。
自他のありのままを認め、自分も他人もあまり「追い込まない」ことが大切です。

頭と心が型ハマりの日本を変えなくては、です。
他人の目に怯えず、もっとおおらかに、もっと伸び伸びと!!


武田康弘

コメント (3)
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