それでは、テーマを「社会と政治」に変えて、続けます。
先生は、社会一般、政治一般について、非常に多く、そして繰り返し発言 されています。
そこで、このインタビューとしては、社会契約説や民主制に関しての基本原理をふまえたいと思います。まず、その基本原理を説明して頂き、昨年から ホットなテーマとして議論されている憲法の問題へと話を展開させて行き、そのなかで「個人」の尊厳について言及頂きたいと思います。
また、先生が、我孫子の地方自治に市民として福島市長をサポートしてきた経験もお話し頂ければ、幸いです。
まず、社会契約説と近代民主性について、分かりやすくご説明頂けますか。
内田卓志
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内田さん、よく整理されてのご質問に感謝です。
実は「社会契約説」については、たいへん に興味深い話があります。
社会契約とは、周知のように【人民主権】に則る社会思想の原理です。一人ひとりの市民 を主権者とする国家(人権思想に基づく福祉国家)をつくるには、社会契約という思想によるほかはないので、国連という世界的なシステムも その土台に乗っています。だから、実質的に独裁国家の北朝鮮でさえも、国名を「朝鮮民主主義人民共和国」とし、人民による民主主義を謳うのです。
わが国は、太平洋戦争で全面敗北の後、それまでの天皇主権の明治憲法から、主権者を国民とする大転回を「日本国憲法」において果たしたわけです。この主権を国民とする憲法は、たいへんな難産で、政府も、保守二大政党も「天皇主権」を変えないとした為に、GHQは「ありえない」と認めず、日本側の憲法改正案は日の目を見ませんでした。そこに現れたのが、憲法学者の鈴木安蔵(治安維持法の第一号の逮捕者でした)と政府を批判し続けた反骨の帝国大学教授・高野岩三郎(筋金入りの民主主義者=共和主義者で改組された戦後NHKの初代会長)ら民間人7人による憲法案(主権は国民にあり天皇は儀礼を司るのみ)でした。「これはよい」としてGHQは参考 にしつつ独自の憲法案をつくったのです。
新憲法で最大の難所が、この主権者を国民に変えるという点にあったのですが、いま、われわれが当然と思う主権在民は、日本国においては70年前の無条件降伏による敗戦でようやくもたらされたのだという事実は、日本国民のみなが深く肝に銘じなければならないはずです。
実は、最近になり、以下のような驚くような出来事があったのですが、それは、いかに主権在民の民主思想が徹底していないのかの証です。わたしは当事者でしたが、この件については、参議院発行「立法と調査」の荒井達夫さんのいくつかの論文に記載され、参議院行政監視委員会・山下栄一委員長の「行政監視と視察」などにも反映されています。
その経緯のあらましは、月刊『地方自治職員研修』に依頼された巻頭論文に書きましたの で、一部を抜粋します。
「う~ん、原理が明確にならないと、優れ た現実的思考はできないのだな。」と、当たり前のことですが、強く感じました。
わたしは、2009年から2010年にかけて参議院行政監視委員会を支える調査室 の職員のみなさんに、「日本国憲法の哲学的土台」と題して、ソクラテスによる「哲学」(ギリシャ語の恋愛と知を結びつけた言葉ですので、 正しい訳語は「恋知」です)の定義から始めて、近代民主主義の土台をつくったルソーの社会契約論についての講義を中心に、柔らかな自由対話による授業をしましたが、「う~ん」は、そこでの思いです。
●ルソーの「社会契約論」につまづく
官僚と呼ばれる人は学歴は最高、ということは受験勉強の勝者ですので覚えはよいのでうすが、「〇〇とは何か」という本質論・意味論が苦手 です。長いこと民間で「私」としての仕事と活動をしてきたわたしが、参議院調査室の客員となり国会所属の官僚のみなさんに講義するに至ったの は、そこに深因があります。
8年前、「社会契約説」の意味について教えてほしいという官僚の荒井達夫さんは、わたしの創った「白樺教育館」でおこなっているソクラテス教室の高校・大学クラスに熱心に通われることになりましたが、彼いわく「「国会職員には社会契約の本質を知っている人はほとんどいな い。わたしは武田さんの会話形式の授業でよく分かったが、この重要な民主制社会の原理について、国会議員を支える仕事をしている調査員が 知らないのは恐ろしいこと」。
わたしの「高校・大学クラス」における授業では、近代思想としては、ジョン・ロックらの社会思想についてお話した後、1年間かけて、ル ソーの『社会契約論』を現代の社会のありようと思想状況とも絡めながら。自からの生き方や日々の生活に照らし合わせて、じっくり読み・考 え・対話する恋知(哲学)の営みを過去に三度行いましたが、困難な社会状況の中で書かれた『社会契約論』は、文学的比喩も多用され、一人 で読むのは難しい書物であることを参加者は実感されます。ルソーの言わんとするとするところを明晰化する作業は、思考力という意味での頭 の重労働ですので、忙しい方の読書には向きません。」
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内田さん、以上でおわかりと思いますが、1868年に誕生した明治維新政府が天皇を主権者とし、天皇と呼ぶ一人の男性を「神」=絶対者 とする「政府神道」による政治を行った為に、1945年の敗戦後も、一人ひとりの国民を主権者とし、主権者の意思で「政府という意味での国」をつくるという民主政治の思想の原理を明晰に自覚している人が少ないのです。
わたしとあなたが、わたしとあなたの意思と お金で国家をつくっているのだ(社会契約論)という当然の前提が明瞭に意識されないのでは、何をどのように行おうともうまくいくはずがあ りません。
民主政という主権者を一人ひとりの市民とす る自治政治を行うには、まず、幼子の自発性の尊重→育成から始め、小学生からは、それぞれが感じ・思い・考えることをもとにして対話する 時間を設け、自由な議論により決めるという自治の実践教育が必要です。民主政が生む内容ではなく制度と形式だけがあるという不毛性を超えるには、子育てー教育の現場からの民主化が必要不可欠なはずです。
なお、わたしの民主的公共思想には長い歴史があり、小学校の「政治クラブ」から始まっているのですが、それを書いた論文は長いので次回にご紹介します。参議院行政監視委員会の資料として国会議員にも配布されたものです。
武田康弘