同じ人間として生まれ、
女として、男として生まれ、
でも、
皇族と呼ばれる家に生まれると、赤ちゃんから老人となり死ぬまで特別の敬語で遇され、多額の生活費が税金で賄われる。
これほどおかしな話は他にないでしょう。
これでは、こどもたちに、倫理も道徳も教えられません。
人間性の豊かさは、一人ひとりの自由と平等に立たなければ、正しく伸びることがありません。
はじめから不平等で、それが「正しい」と言えば、自由も平等もウソであり、欺瞞であり、建前にすぎないことを、こどもの頭に刷り込むことにしかなりません。
「あなたもわたしも同じ人間」というのが、ただのお話に過ぎないというのでは、倫理・道徳の大元が消えます。健全な教育は、元から成立しません。
差別は当然、という道徳では、民主的倫理は死んでしまいます。どうやっても精神の健康な国にらず、「嘘と建前で生きることが正しい」という人間をこしらえてしまいます。
「皇族とは昔からあるので、すぐなくせないけれど、だんだんと市民社会に溶け込ませる必要があるので、まだ時間がかかるのだよ。」というように教えることができるような状況をつくらないと、わが日本には、永遠に民主的倫理は成立せず、永遠に非民主国に留まるほかありません。
ほんとうに「自由・平等・博愛」をめがけることのできる国=こころの底から「公共性」を尊ぶ国になるには、差別を当然とする国柄(明治維新政府がつくった国体)をチェンジする必要があるはずです。
現天皇の明仁さんも明治維新政府がつくった天皇主義(靖国思想=国体思想)を、「国民主権の民主政=近代市民社会」へ適合するように穏やかに変えること=皇室を特別扱いしない=を望んでいるのは明白です。
ウソで固めた(神話上の神武天皇からはじまる!) 「紀元節」という狂気については、亡くなった昭和天皇の弟の三笠宮崇仁さんが明言していた通りです。ニッポンウヨク思想は、もう、いい加減にしないといけません。思想という名にすら値しないのですから。
武田康弘