思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ヤルヴィ・ドイツカンマ-フィル 演奏評 ブラームス交響曲1番。唸るほど凄い、オリジナルの塊。

2016-11-27 | 芸術

2016年11月26日 所沢ミューズ

感情的にも知的にも興奮し、熱が出た。

ブラームスの交響曲1番を聴いていま帰宅。
まったく新しい21世紀の演奏で、過去の誰とも似ていない。
オリジナルの塊だ。

唸るほど凄い。

指揮者のヤルヴィとドイツカンマーフィルの共同作業が生んだ超名演である。このオケは、全員がソリストで、まるで弦楽四重奏団を拡大したよう。各プレーヤーは、オケの一員というのではなく、強い個性の輝きをもつ個人なのだ。一人ひとりが明確な主張をもち、それが互いに協力して曲をつくるので、全体は、通常のオケを超えて、凄まじいばかりの灼熱となる。

演奏もそれぞれがソリストのように身体を大きくゆすり、まるで踊っているようだ。コンサートマスターは3番と1番で交代したが(3番が男性、1番が女性)、完全にソリストだし、ヴィオラもチェロも同じ。オーボエの男性と隣りのバスーンの女性は、まるで二人でダンスをしているかのよう。

みな顔も光り輝き、「わたしの音楽よ!」と言わんばかり。

この聴いたことのない超名演は、指揮者のヤルヴィの解釈だけではなく、オケのメンバ-全員の意見を統合させたものではないか?と思う。YouTubeで見たら、ヤルヴィとパリ管弦楽団で同曲の映像があったが、基本的な解釈は近いが、色合い・表情・力感はかなり異なり、今日の演奏の方がはるかによい。

もしそうなら、これは演奏思想・方法まで異なることになり、対話の哲学による音楽表現で、納得が生む個人のパワーの炸裂、それゆえの白熱ということになる。

弦は、音の出だしが素早く強烈なまでに強いが、歌う場面では、弓を返さずに長いフレーズを滑らし、優しくしなやか。まるで、美味しい料理を舐め尽くすがごとくだ。そのために、音楽表現の幅がとても広くなる。
木管も金管も主張が明確でクリアー、惚れ惚れ。
多色で多面的な音楽世界がまるで万華鏡のように繰り広げられ、時間があっと言う間に過ぎてしまう。

あえて言えば、この演奏は、大陸合理論の世界であり、イギリス経験論の世界ではない。強く駿立している。それゆに、ドイツ音楽の典型であるブラームスやベートーヴェンのシンフォニーでは、新たな規範と言えるかもしれない。

二管編成で、通常のオケの半分だが、各人がソリストのような強さをもって演奏するために、迫力はかえって大きく感じる。マスとしての音量の大きさではなく、一音一音のパワーが凄いので、音楽はより強靭で立体的になる。聴いていて鳥肌が立ちっぱなし。ああ、もう終わりか、いつまでも終わらないでほしい、と願った。

最後は、グッとテンポを落とし、大満足のエンディング!

聴衆の反応は凄く、アンコールの2曲が終わってもまだ誰一人席を立たない。
オケが引き上げても半数近くが残り、拍手を続けた。フー。
サイン会もあったが、もう心も頭も満杯でなので、帰路についた。

武田康弘

 

 

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