思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

幼児、子ども、女性、国民、を対象物として見ることの恐ろしさーー日本に多いネクロフィリア

2017-04-15 | 社会批評

幼児であれ、子どもであれ、相手を対象として見るという立場に立つ人は、「よい、楽しい、嬉しい」人間関係をつくるのではなく、一方通行です。

固定した自分の見方・考え方により、他者を対象としてみるのは、「死体」(動かないもの・厳しい規律や道徳律など)を愛するネクロフィリアですが、これは、官僚や政治権力者、医師や教師など、自分を上に置く職業の人に多い危険な精神疾患です。エーリッヒ・フロムは、ヒトラーをその代表的人物として挙げています。

集団で女性を暴行した早稲田、東大、慶応、千葉大、慈恵医大の学生や医師などもその典型で、彼らはみな、相手から見返されるのを恐れ、相手が自分の予想通りにならないと不安に陥ります。だから、人間関係をつくれず、相手を物化します。

安倍首相も国家権力を用いて自分の思いを実現させ、批判されると苛立ちます。

幼い子に対しての、さまざまな種類の暴力行為もネクロフィリアの典型です。

わたしたちは、そういう傾向にある人を見分ける力をもてるようにしないと大変に危険です。個人レベルでも社会レベルでも。



武田康弘

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自分だけにお金を使う人では、安倍国体主義に負けます。「ケチ」は、公共的なよいを生みません。

2017-04-15 | 私の信条

「自分(&家族)のことだけにしか頭と労力とお金を使わない人では、安倍イズム(国体思想)に全部やられます。ケチでセコイ人では、公共善はつくれないのです。」との一行を昨日、fbに書きましたが、

国家主義的な考えを批判する側の人は、言葉はカッコよく「正しい」ことを言いますが、自分のお金を出したがらない人が多いように思えます。ケチで、もらうことばかり~~~(笑)。

身銭を切るということなく、言葉だけが民主主義ではおかしいですよね。「皆」と、民主を言いながら、お金は自分だけに抱え込むのでは、ひどい矛盾です。

自分が想い・考えるよいこと、公共的な広がりをつくること、優れた考えや生き方を広めるために「自分のお金を使う」という開かれた心がなければ、公共はつくれません。

もちろん、お金がない人や生活保護を受けている人は出せませんが、かなりの年収があるのに出さない、身銭が切れないのは、その精神に問題があります。

そういう生き方をしていると、「上からの道徳律の押しつけ」を批判しても説得力をもちません。お金の使い道、というその人の本音が赤裸々になる領域で、社会や公共に開かれた自己をもたず、自分と自分の家族だけに閉じている人の言葉は宙に浮き、白々しいだけです。そういう人が改革運動をしても、誰も未来に明るい希望を感じません。したがって必ず負けます。

社会人=公共人としての自由と責任を感じている人は、お金がないときでも出します。出し過ぎて困るほど、は行き過ぎですが(反省)

それは、自己犠牲では全くなく、自己を公共に広げる喜びです。私の得でもあるのです。


武田康弘

 

 



 

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