天皇制度という魔物は、人間を人間味あふれる豊かな人間にしないと思いました。
人間の中に他の人間とは異なる特別な存在を置く。古代国家から遠く離れても、いつまでも天皇、皇族、皇室が大切というのが昨晩のNHKの番組で、批判的検討者は元から排除、存在さえ認めない、という番組の構成でした。
天皇という存在を真面目に考える作業をすると、皇族としてその中にいる人も、外にいるほぼ全員も、矛盾の中で七転八倒する羽目に陥ります。国民ではないので、パスポートも発行されない存在が、国民統合の象徴。一人が、全国民を統合する象徴とはどういうことなのか。それは果たして人間なのか、はなから訳が分からなくなり、だから生きている神=現人神なのだ、と言われもします。
裸の一人の人間、哺乳類であり、生命体であるこの私が、人間性の魅力を追求する人生、内容としての精神世界の豊かさを広げる人生をこの国の中で生きようとすると、どうも具合が悪いのです。疎外され、形式としての人間に陥ってしまいがち。日本人は他国人とは異なり、天皇という存在を未来永劫、肯定し、特別なものと見なければいけない、という観念を強制させられ、自由な想念もつことが許されません。それが日本という国!!??
「天皇制度」という根源的タブーを当然のこととして受け入れなければ、非国民であり、まともな人間とみなされないという国は、個々人の心の宇宙、精神世界の自由を大元から奪います。
なるほど、自民党憲法改正案で、「個人」という文言を消したのは、正解です。日本人は、個人としては生きてはいけないのです。永遠に「天皇制 内 日本人」であり、個人の内面宇宙に究極の価値を置くアテネ出自のフィロソフィー(恋知)は、日本人には似つかわしくないものであり、邪魔ものです。
すべての人は、等しく、唯我独尊である、というブッダの根本思想も、そのままは受容できず、骨抜きにされます。なるほどなるほど、それが天皇絶対のニッポンなのですね。
うん、わたしは、たとえ一人でも、そういう人間差別の大元の制度を少しも認めることなく、すべての人は、みな対等という人間観=溢れる人間愛をもって、生き続けよう。明仁さんや美智子さん、皇太子夫妻もほんとうに気の毒だ。京都御所に戻り、人間としての自由を認められ、楽しく生活できるようにしてあげたい、と思いました。
武田康弘