思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

個人の悪は、国家の悪に比べれば、あまりに小さなもの。巨悪には不感症なのがわが日本人かな。

2017-06-03 | 社会思想

最大の悪とは、公的、国家的なレベルにおける悪です。

個人の悪や不道徳は、それとは比べものにならぬ小さな悪。

しかし、マスコミは、個人が個人レベルで犯す悪や不道徳ばかりを報道します。

どうでもよい、くだらない、個人的レベルの話をこの世の一大事のように大げさに報じ、

そのくせ、公的・権力的なレベルでの悪、絶対にしてはいけない憲法違反や、首相の権力の私物化という巨悪や、役人たちの嘘とインチキ、経団連に集まる資本家たちの横暴の報道は、極小。

マスコミとは、国民洗脳機関であることが実によく分かります。多数の国民は、騙さているという自覚を全く持てないままに、大きな悪には不感症となり、個人レベルにすぎないことを話題にし、他者を排斥する。

財界や国家主義の政府の思うまま、自由も平等も奪われても実におとなしく政府を支持するのが日本人(実に偉い!天晴れ!滅私奉公と忠の道徳)、この十数年間、世界でただ一カ国だけ経済成長がない日本(大企業だけは史上空前の利益を上げて株価は高く経済はマイナス成長というハレンチ)、従業員は、利益は全部企業にもっていかれて実質賃金は横ばいでも仕方がないで、我慢我慢。

さすがは、上位者への恭順という忠の道徳が大好きな国民ならではなのでしょうが、生まれつきそうなのではありません。育ちの中で、今はとくに中学校(早朝に起き帰宅は夜7時という世界に例のない長時間拘束で、個人性を元から断念させる恐ろしいシステム)が人間をニッポン人にする大きな役目を果たし、「学校 内 個人」「部活 内 個人」「会社 内 個人」「組織 内 個人」「政府 内 個人」にさせられるのです。人間ー個人としての自由と責任をもつ存在ではなく、全体が先立つ全体主義の完成形が日本です。

思想、生活のすみずみまで「全体主義」で染め上げられても、そのことを自覚できず、日本は世界一のよい国だ~~!と思う(思わされる)のですから、こりゃダメだ(笑笑・哀哀)、民主主義=主権在民なんて古い古い、人間も昆虫のように規律正しく、忠犬ハチ公のようにご主人さまに従順で、よい国、美しい国へ~~~~~~~~~と安倍晋三という名の自己絶対の総理大臣が述べています。「おれが首相だ、おれが偉いんだ!」とか。

もういい加減にしてほしいですね、人間って、そんなに卑屈に生きるもの? すべては、個人、手強い個人からはじまるという真理を思い起こそうではありませんか。
騙されているのでは愚かで哀しいです。いつまで全体一致!

 

武田康弘

 

 

 

 

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