思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

タコ部屋の中学部活。 人間性豊かな「個人の育成」への転回をしないと日本に未来はありません。

2017-06-29 | 学芸

わが日本人ほど個人性に乏しく、オリジナルな精神世界が貧弱で、集団同調で生きる人々が大勢の国は、他にあるのでしょうか?

中学の部活動は、そうとは意識していないかもしれませんが、恐ろしい力で個々人を集団人にし、集団人にならなければ、窓際族に追いやります。

自分の心の世界、頭の世界は、集団の中でしか位置付かず、固有の精神的広がりをもてません。既存の何かからチョイスする以外はなく、枠組みを超えて自分で開拓する世界に乏しのです。

だから、何をしても、すべては紋切型ですし、集団の上位者に従う権威主義にしかなりません。東大病(教)であり、NHK病(教)であり、天皇教であり、官僚病であり、です。

自分が灯、自分への帰依(自己の内なる善美につく)というブッダやソクラテスの考えとはまるで反対で、いつも外なる権威、外なる価値、外なる力に怯え、従う人生です。

そういう精神風土をつくるのに一番貢献しているのが、いまは、中学生の部活動です。みなタコ部屋の住人のようになり、そこから出られません。毎日、週6日間、朝も夕も練習練習で、ヘトヘトですが、こどもを自由にさせたらいけない、という思想ですから、早朝から夕方遅く(18時30分前後)まで縛るのです。辛いからやすむことは、心理的にできません。誰かさんがやすんだ、ズルイ、となり、他者の眼(集団同調の空気の力)が怖くて、心身が辛くても出ます。

日本人の死ぬまで働く(自殺を含め)という勤勉さ、自己よりも集団を先にする全体主義は、こうして身体化されますが、まれに身体化されない子(人)がいれば、窓際族となります。

ソフトな体裁で誰も文句がいえないようにつくられた究極の個人消去システムと言えます。タコ部屋に耐える艶消し人間をつくるのですが、これほど底意地の悪い思想ー制度はないでしょう。これが世界に冠たるザ・ニッポン!?  人間として生きるとはどういうことなのか?みなが考えないと、いつまでも「人間を幸福にしない日本システム」から抜けられないでしょう。

部活は、週3回までにしないといけません。長時間、毎日同じ訓練は、しらずにステレオタイプに貶めます。実に恐ろしいことなのです。早く気づけ!


武田康弘

 

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