思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

SEXしたかしないか、それを話題にするわが日本人の程度の低さには言葉もない。嘔吐する。

2017-09-23 | 社会批評

男女の関係がどうのこうの、makeloveしたかしなかったか。そういうことをおおやけのテレビやニュースで問題にする。

それがどれほどイカレたことかも分からない。テレビの司会者やゲストが、自分の顔を曝して、そういう類のことトクトクくとしゃべり、「道徳」?を語る。

プライベートな領域にずかずかと踏み込んで、わたしは倫理人間、誰それは不倫?の人、と言わんばかり。

身体的な愛を交わすことは、罪どころか極めて人間的な営みであり、それに他者が口を挟むなどは、ゲスの極みであり、ハレンチな行為であり、人間の品格ゼロです。

婚姻者の場合は、パートナー・相手との関係性の問題であり、第三者が覗き見して、評価を下すことではないのです。そういう常識さえ分からないのが日本人?

お子さまランチの次元でしかないマスコミ人のレベルの低さは以前にも指摘しましたが、それを見て踊らされる人々もまた同じこと。

いつまで精神の自立ができないのでしょうか。

恋や愛や性について、嗅ぎまわり、話題にし、ましてやそれをネタにして公人としての生命を断つなどは、人間のクズというほかなく、ヤボや不粋というレベルさえ超えています。

マスコミ人よ、恥を知りなさいよ。

われわれ日本人は、制度や形式ではなく、ほんとうの人間性とはなにかをウソやゴマカシ、建前ではなく、正面から見、知る努力を始めなくてはなりません。

プライベート次元とおおやけや公共次元をきちんと区別するという最低限の常識なくしては、何一つまともなことは語れません。

 

わたしは、山尾さんの騒ぎを見て、この人が好きになりました。人間味を感じました。彼女を追い落とすことに必死になっているグループ(主にゲスな男性でしょう)の本質的な汚さ、非人間性に嘔吐をもよおします。

 

武田康弘


 

 
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