小学校で「新しい令和の時代」に向けて作文を書かせる授業がはじまりました。天皇教の刷り込み教育の開始です。
小学高学年のクラスでは、「令和」時代の希望を書く宿題が出て、出された子は、「平成も令和も何も変わらないし・・・」と困惑顔です。平成時代とか令和時代という時代があると言うのは、なんとも奇妙な話です。
また、小学生も皇族の人にはみな「さま」をつけて呼ぶようになっています。同じ子どもでも、皇族と自分たちは違う、というイデオロギーの刷り込みが行われています。
天皇一代につき一つの元号という明治維新がつくった天皇教は、その象徴である元号を強く意識させることで、あっという間に広がります。戦前思想(天皇は特別な存在で他の国民とは異なる)に逆もどりです。明治がつくった天皇教は日本の伝統などではまるでなく、近代市民社会の常識とも著しく異なります。
なんという国なのか! 無宗教どころか、国民みなが無自覚のうちに天皇教徒とされ、疑問を挟む余地すらありません。マスコミは異論をもつ者を完全に排除しています。日本にだけしか通用しない国家宗教ですが、大多数はそれに何も思わずに従います。
わたしは、ソクラテス・ブッダ・老子の実存思想につくフィロソファー(恋知者)なので、天皇教には組しない人間ですが、どうも非国民と認定されるようです(笑・呆・憤)。精神的に自立した個人こそほんらい歓迎されなければならないはずです。同じ色に染まらなければいけないというのでは、個人も組織も国も豊かなエロースを持てず、頑なで小さく固まるだけです。
武田康弘