現代人は、なにかしら強迫神経症ぎみの人が多く、学習でも、体験でも、時間をかけてじっくり取り組まないので、バタバタして身になりません。
いろいろ多くのことをやり過ぎると、体験(実体験でも学習面でも)は自分のものとはならないで、落ち着く場所をえません。落ち着かないとそこから芽が出て、花が咲くことがありません。体験の意味が他者への優越意識へと堕ち、自分の血肉にならず、かえって精神の安定を欠く結果を招きます。
親や教師や友人らによりなにがしかの劣等意識を植え付けられると、それを跳ね返そうとして、なんでも知り、出来る自分を目がけようと頑張ってしまいます。そうなると精神の落ち着きを無くしてしまい、攻撃性の気分に囚われ、他者に勝とうとします。今まで「哲学」にひかれて私のところに来る人(主に男性)には、そういう人が多く、哲学の深い思想を「結果」として学ぼうとする(それはアウトです)ことにより、他者への優越のアイテムとしてしまいがちです。
事実学(受験的な知)ばかりの日本では、最高学歴があっても(あるから)知らない・分からないことを、わたしが示し、教えるでもなく教えるので、これほどの得はない、と思うのでしょう。ただし、自分の悩み(心の問題や家族の問題、価値観の問題、お金や地位など)が解決すれば、それでお終いとなり、世俗の価値に逆戻りです。その方が好都合と思うようになるようで、感謝どころかしばしば非難です(笑)。
話を戻しましょう。何より大切なのは、ほんとうに自分がやりたいな、価値あるな(外的・世間的な価値とは無縁に)と思うことを見つけ、しっかり、じっくりと取り組むことです。他者の言葉や態度は気にかけず、落ち着いて続けることです。「他者承認」という強迫神経症から解放されないといつまでも不幸です。
外的価値=世間的価値がどういうものかは、誰でも知っているでしょうが、それは、ただ知っているだけのことで、自分自身に内面化しないことが必要です。自分がどう考え、どう生きるか、という内的価値は、外的価値とは無関係です。惑わされない心のためには恋知が大切です。日々、生活世界の中で実践を続けることがないと、結局は外的人間になるほかありません。いつまでも「人間を幸福にしないシステム」に呪縛され、くぐもった生から抜け出せずに人生を終えてしまいます。
天上天下唯我独尊=わたしはわたしです。他との比較ではないわたしの精神の自立が何よりも求められます。他者への優越意識や競争意識は、百害あって一利なし。
他者=世間の見方・判断ではなく、自分自身の内なる心の声を聴き、それに従うことが、世俗価値を超える座標軸をもたらします。善美への憧れと真実の探求は、柔軟で強靭な意識をつくるのです。しっかりそこまでいかないと、結局は後戻りとなるか、あるいは、不安定=不健康な精神状態に陥るかになります。どちらも大損です。
武田康弘(恋知者)