思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

スポーツとバラエティに皇室敬愛報道=「一億白痴化」の完成か。それとは無縁の「恋知の生」。

2019-08-28 | 恋知(哲学)

 テレビは、お軽い番組のオン・パレード。

 スポーツとバラエティと公式ニュース(社会主義国と似たような)に、
皇族がどこどこへ~~と、令和時代!令和初の!(笑)とか、「天皇教」刷り込み番組を流します。
 それに東大病患者をもてはやすクイズ番組です。
 哲学まで近代西欧の有名人の紹介番組にしてしまい、テレビショッピングのよう~~(笑)。


 形式知=事実学(≒受験知)に依拠し、意味論=本質論という土台・中心のない学校知が支配するわが国には、いまも昔もフィロソフィー(=主観性の知)なし。

 60年以上前の大谷壮一の卓見=「一億白痴化」(「テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い」1957年)が、いよいよ完成のようです。根本的に考え、発言する人や政治や戦前思想への批判者は、まるで変人か非国民扱い(笑・呆)

 改革派も「熟議」とか言い、既成の枠内に「批判」を封じ込めることにこぞって精を出す(笑・呆)。
ほんとうの意味でまともな人=しっかり考え忖度せずに発言し行為する人は、極小です。これは、戦前と同じで(それ以上かな)「他者承認」に怯えるのがわが日本人です。

 そんな状況を一瞥し、堂々と王道を歩み、一歩も退かない人生を貫くのが「恋知の生」です。状況の内にいながら状況を超えた日々をつくり楽しみます。強く明確なイデーを育て、汝の道を歩み、他者の言には左右されないのが、よき優れた人です。沈思と自問自答なき対話には何の意味もありません。この原理を忘れれば、すべては砂上の楼閣です。



武田康弘

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