テレビは、お軽い番組のオン・パレード。
スポーツとバラエティと公式ニュース(社会主義国と似たような)に、
皇族がどこどこへ~~と、令和時代!令和初の!(笑)とか、「天皇教」刷り込み番組を流します。
それに東大病患者をもてはやすクイズ番組です。
哲学まで近代西欧の有名人の紹介番組にしてしまい、テレビショッピングのよう~~(笑)。
形式知=事実学(≒受験知)に依拠し、意味論=本質論という土台・中心のない学校知が支配するわが国には、いまも昔もフィロソフィー(=主観性の知)なし。
60年以上前の大谷壮一の卓見=「一億白痴化」(「テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い」1957年)が、いよいよ完成のようです。根本的に考え、発言する人や政治や戦前思想への批判者は、まるで変人か非国民扱い(笑・呆)
改革派も「熟議」とか言い、既成の枠内に「批判」を封じ込めることにこぞって精を出す(笑・呆)。
ほんとうの意味でまともな人=しっかり考え忖度せずに発言し行為する人は、極小です。これは、戦前と同じで(それ以上かな)「他者承認」に怯えるのがわが日本人です。
そんな状況を一瞥し、堂々と王道を歩み、一歩も退かない人生を貫くのが「恋知の生」です。状況の内にいながら状況を超えた日々をつくり楽しみます。強く明確なイデーを育て、汝の道を歩み、他者の言には左右されないのが、よき優れた人です。沈思と自問自答なき対話には何の意味もありません。この原理を忘れれば、すべては砂上の楼閣です。
武田康弘