思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

Kimさんfbに。安藤昌益の「直耕」「真人」=関根竹治さんと、「公共哲学」の学者たちの精神的退廃。

2022-03-01 | 恋知(哲学)

以下は、昨日(2月28日)に Taechang Kim(金泰昌)さんのfbに張り付けさせて頂いたものです。

Kimさんは、安藤昌益に大きな関心と深い敬愛の情を示すfbをたくさん書かれていましたので、書き入れたのです。Kimさんは、直耕真人という言葉=概念をとても大切に語られていました。


武田 康弘→Taechang Kim

直耕」(安藤昌益)し続けて生きたわたしの義父の関根竹治さんの言辞行為を本『令和から共和へ』同時代社(3月初旬発売)に書きました。

田と畑を耕し、豚と鶏を飼い、羊から乳をとり、という一生でした。わたしの教育実践と哲学理念(恋知)に賛同し、【白樺教育館】建造の全費用を出してくれた人です。

明治政府がつくった政府カルト宗教=天皇教】は、許しがたくありえない思想で、この問題をクリアーにしない限り、日本人は永遠に不幸なのです。



コメント1件

武田 康弘

「明治政府がつくった天皇という記号」がもつ意味について東大出版会のシリーズ「公共哲学」20巻では、誰も何も語らなかったというは、あまりも無責任です。

Kimさんは韓国人ですが、他は大多数が日本人学者ですから、その知的退廃は目に余るものがあります。

やはり、社会的上位者は、「天皇教ー東大病ー官僚主義」の三者一体の日本型支配の中にいるために、🙈🙉🙊で肝心かなめの問題には、逃げるだけ、あるいはソフィスティケートする言説で誤魔化すだけなのでしょうね。

「学者とは学問することでダメになった人間のこと」では哀しいです。それでは、人類学者モンターギュの言う通り、学士・修士・博士と進むに従い、知的にも精神的にも萎えていく、になってしまいますよね。

安藤昌益のいう「直耕」する「真人」とは正反対です。


武田康弘

コメント
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