思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

皇族・天皇は日本人ではない、とする現状を変えるための二つの案。

2022-03-11 | 芸術

 

皇室という制度・天皇という制度が、民主制(政)の哲学原理に反していることは明白で、

同時に、

【憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、性別、社会的身分又は、門地(いえがら)により、政治的、経済的又は、社会的関係において、差別されない】に反することも明白です。

ところが、憲法解釈では、皇族を日本人という規定から外して、特例扱いすることで、憲法の対象外としています。


皇族は、日本人ではなく、また、憲法や世界人権宣言(国連)の「人権」規定の対象外となるのでは、人間として認めていないことになります。

解決策は二つでしょう。

天皇及び皇族は、人間ではなく、生きている神だとして、憲法の対象にならないとする憲法解釈を明文化する。

天皇及び皇族も人権を認められた日本人として、憲法1~8条までを改定し、日本共和国憲法をつくる。

どちらにすべきでしょうか?

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験塾は、紋切型頭=人間しかつくらない。

2022-03-11 | 教育
受験勉強は、紋切型頭=人間しかつくらない。

言い方を変えれば、機械頭であり、二次元頭であり、白黒頭だ。
多層性をもたず、内部から湧出するパワーを持たず、「わたしの頭」ではない。
受験塾とは、そのような頭に変える施設であり、頭=人間から色を消してしまう。

フッサールの言葉だが、「事実学は事実人しかつくらない」。
いまの学校知は、身体知、感じ、想うという人間的頭脳の中心であるイマジネーションを育てず、言語中心主義=言葉の暗記中心の堅苦しく息苦しい知だ。

意味論≒本質論のない事実学の累積は、特定パターンを仕込むことで人間的な頭脳を破壊してしまう。だから「優秀者」ほどたんなる「事実人」(犬やサルではなく事実として人であるに過ぎない)に陥るのだ。「東大病」。

水面下を見ること、地面を掘り進めること、内的意味充実の世界を拓くこと、多色で広がりゆくイメージをもつこと。自由自在に羽ばたくこと。これらのもっとも重要な人間的頭脳を破壊し、灰色で単線的で色艶のない頭=人間を製造するのが、受験主義の勉学であり、受験塾である。受験塾が大手をふるう日本に未来はない。

哲学(ほんらいの訳語は「恋知」)も沈思と内的自己の開発ではなく、「言語ゲーム」という趣味の世界に陥る。
 
武田 康弘
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする