思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人間性の無条件降伏をもたらす「ネオコンと国体思想」の合体  

2014-06-17 | 社会思想

 

 安倍首相の保守主義とは、ネオコン=新自由主義と結びついた国体思想ですが、思想音痴のわが日本人は、それが何を意味し、何をもたらすのかを知りません。

 戦前の「国体思想」(皇室を拡大解釈して利用し、国民を「政府の民」として集団化させた明治の保守主義)を「新自由主義」(経済的覇者が全体の支配者となる)の下で復活させることは、「上位者に従わなければ人間でなし」という想念をつくり出し、国民全体を金縛りにするイデオロギーです。

 点数や年収や肩書などの単純な物差しではかった「勝者」だけを評価し、その勝者だけを優遇する最強のイデオロギー=最低の思想、それが、国体思想と新自由主義の合体がつくりだすお化けです。人間性の肯定・愛の精神・個の発露と自由を根こそぎ奪う、支配者のための国づくりと言えます。さまざまな分野でのテクノロジー(人間管理の技術を底板としてもつ)を発達させた現代に、王権が蘇る? 経済的支配者と同一化した政治的支配者が、全国民を支配するわけです。ふつうの人々を主権者とする近代民主制は、終焉します。

 これほど異様・異常な思想が、凄まじい国家権力で現実をつくっています。

 個人と社会の双方の「価値意識」のありようを検討し吟味するほんらいの意味での哲学=恋知を排除した上に成立するシニカルな現実主義は、権力に盲従するだけの愚かな人間をつくり出して終わりを迎えます。太平洋戦争の無条件降伏を、人間性の次元で再現し、人が生きるに値しない国家をつくり出すのです。一人ひとりの個人ではなく、支配者が要請する日本人で溢れます。普遍的思想がない最低国家への道を突き進んでいるのがわが日本の現実です。

  安倍首相を筆頭とするウヨクの政治家と普遍的思想なき官僚の集団意識(組織エゴイズム)が底知れぬ公共悪を日々生産しています。マスメディアが共犯者として、工場で製品をつくるように、人々の「合意」をつくる=ねつ造するのです。

 「私」が、自分の五感をよく用いて、自分の生活体験を基に種々の情報を洗い、自分の頭で考える「恋知」(ソクラテス出自の考える営み)が何より必要です。心身全体で感じ知り、自ら思考することのできる人間にならねば。 腑に落ちる が原理です。


武田康弘

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