思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「皇族も特別扱いはしない、対等な個人として遇する」 白樺派・民藝館の柳宗悦・兼子

2016-11-05 | 社会思想

1947年(昭和22年)10月に、昭和天皇と皇后、12月に皇太后が『日本民芸館』を訪問しました。
柳宗悦は、皇族訪問に先立ち、宮内庁から宮中で説明するように求められましたが、「民芸館の説明ならこちらに来られた時にすればよい」と断りました。

また、近所の人たちが並んで出迎えることも嫌がりました。 「特別扱いはしない」と。

宗悦の権力や権威に媚びない態度は、日本最高のリート歌手であり民芸運動を支えた夫人の兼子さんもそっくり同じで、たとえ皇族であろうとも、「対等な個人」である客として遇するのが当然だとする考えの持ち主でした。



※楷書の絶唱『柳 兼子伝』(松橋桂子著・1999年水曜社刊 )より。

柳宗悦と兼子さんのような考えと態度が、健全=健康な人間としての日本人になるには求められるのだと思います。

誰もがみな、ただ われひとり とうとい(「天上天下唯我独尊」=ブッダの根本思想)という堂々とした人生=品位の高い人間としての意味と価値をもった人生を歩むこと、一度きりの人生を存分に生きること、それが何よりも大切です。

何時までも、生まれながらして不平等=差別のある国ではいけませんよね。
求められるのは「恋知」の生です。

 

武田康弘(「白樺文学館」初代館長)

 

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皇族の特別扱いをやめないと、日本は嘘と建前の国から抜けられません。三笠宮の言う通り「紀元節の大ウソ」。

2016-11-04 | 社会思想

同じ人間として生まれ、
女として、男として生まれ、
でも、
皇族と呼ばれる家に生まれると、赤ちゃんから老人となり死ぬまで特別の敬語で遇され、多額の生活費が税金で賄われる。

これほどおかしな話は他にないでしょう。

これでは、こどもたちに、倫理も道徳も教えられません。
人間性の豊かさは、一人ひとりの自由と平等に立たなければ、正しく伸びることがありません。

はじめから不平等で、それが「正しい」と言えば、自由も平等もウソであり、欺瞞であり、建前にすぎないことを、こどもの頭に刷り込むことにしかなりません。
「あなたもわたしも同じ人間」というのが、ただのお話に過ぎないというのでは、倫理・道徳の大元が消えます。健全な教育は、元から成立しません。

差別は当然、という道徳では、民主的倫理は死んでしまいます。どうやっても精神の健康な国にらず、「嘘と建前で生きることが正しい」という人間をこしらえてしまいます。

「皇族とは昔からあるので、すぐなくせないけれど、だんだんと市民社会に溶け込ませる必要があるので、まだ時間がかかるのだよ。というように教えることができるような状況をつくらないと、わが日本には、永遠に民主的倫理は成立せず、永遠に非民主国に留まるほかありません。

ほんとうに「自由・平等・博愛」をめがけることのできる国=こころの底から「公共性」を尊ぶ国になるには、差別を当然とする国柄(明治維新政府がつくった国体)をチェンジする必要があるはずです。

現天皇の明仁さんも明治維新政府がつくった天皇主義(靖国思想=国体思想)を、「国民主権の民主政=近代市民社会」へ適合するように穏やかに変えること=皇室を特別扱いしない=を望んでいるのは明白です。

ウソで固めた(神話上の神武天皇からはじまる!) 「紀元節」という狂気については、亡くなった昭和天皇の弟の三笠宮崇仁さんが明言していた通りです。ニッポンウヨク思想は、もう、いい加減にしないといけません。思想という名にすら値しないのですから。

 

武田康弘

 

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ふつうの市民にとって、自民党の「天皇現人神の国体思想」は、不倶戴天の敵というほかありません。

2016-11-03 | 恋知(哲学)
国民主権の民主政つくに市民にとっては、
自民党の国体思想(天皇現人神の靖国思想)は、不倶戴天の敵というほかありません。
 
人間性の豊かさ=個々人の自由と魅力に基づく人生を妨害する「国家主義」(明治政府が作成した天皇教=国家カルト) とは、公共悪であり、到底容認できません。
 
しなやかに囚われなく楽しく生きること、自由な想念を広げてのびのび生きることを妨害するのは、根源的な悪です。
 
エロースの生、自分自身の内なる善美への憧れを根本的な座標軸として生きる人は、ほんものの人間ですが、外なる規範に従わせようと誘導ないし強制する人は、表層的に善人を装っても、大元が悪です。
 
その種の人間群に占脳=染脳されたくない人は、自身のフィロソフィーをもつ営みが大切。それが恋知という発想ですが、ブッダの根本思想である自帰依ー法帰依、唯我独尊とも重なります。


ブッダとソクラテス
  
 
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皇族のお墓は4700万円で、葬儀費用はウン億円だそうです(NHKニュース)ー全部税金だそうです。

2016-11-02 | 社会批評

皇族のお墓は、それぞれ新設するようで、今度のは4700万円だそうです(NHKニュース)。

わたしの自宅より高いお墓ですが、全額税金(わたしやあなたのお金)だそうです。

葬儀費用だけでも何億という金額だそうです。これも全部税金とのこと。

昭和天皇の裕仁さんの時は、葬儀だけで100億円ほどでしたが、これも全額税金でした。

わたしやあなたのお墓や葬儀は、税金ではなく、自費です。当然ですが。

 こんな国、他にあるのでしょうかね。お釈迦さまのいう平等とは正反対ですね、仏教国なのに。

どうして超がつく桁違いの特権があるのでしょうか? 憲法とも矛盾しませんか。

 

武田康弘

 

 3年前のblogです。

 

 「悪」は自民党。自民党による天皇の政治利用はず~~と以前から日常化。

2013-11-03 | 社会批評

ほんとうに自民党とは、ウソと鉄面皮の集まりで、太いというか、恥知らずというか、呆れ返ります。

こういう保守主義の政党(戦前は、天皇を現人神とし、こどもたちに靖国思想を洗脳した権力者の子孫とその同伴者たち)に投票するほかないわが日本という国は、なんとも情けない。

わたしたち「ふつうの市民のふつうの市民によるふつうの市民のための政府」をつくらなければいけない、と思います。

山本議員の時代錯誤の行為は困りものですが、それ批判する資格は、自民党にはゼロです。

現代史を少し学んだ人なら、戦後、「吉田茂」という天皇崇拝者=天皇利用者を尊敬していた池田隼人や佐藤栄作などは、昭和天皇とべったりの関係で、昭和天皇もさかんに政治的意見を述べていた事実を知っています。彼は、新憲法発布後も国家元首という意識を持ち続けていました。

日本国民が保守主義から離れず、天皇と皇族の地位の存続を許すようにという昭和天皇の強固な意志と自民党とはず~~と一体のものでした。今も変わらす自民党にとって、天皇制(保守主義者は「国体」と呼びます)を維持することは最大の政治目的なのです。

吉田、岸、佐藤らと姻戚関係である現総理の安倍晋三は、つい先ごろも、「主権回復の日」を新設し、そこに天皇と皇后を出席させ、「天皇陛下万歳!」をしたばかり。

ようするに、自民党による天皇利用は政治利用ではなく、他は、政治利用にあたる、というのが、鉄面皮=自民党の主張です。恥知らずもここに極まるというほかありませんね。

武田康弘

 

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高学歴者やエリート職業者は、本質的に頭が悪い。自他を幸福にしない無意味な知。

2016-11-02 | 恋知(哲学)

受験知の勝者や、不必要なことまでなんでも暗記する暗記マンや、事実学に過ぎない学の所持者、「高級」資格者・・・・

わが日本人の知は、人間性が優れていること=豊さやエロースとは異なり、羅列的で無意味・無価値の「捻くれた受験知」「無用の知」「クイズの知」に過ぎず、意味論としての知=本質論とは無縁です。

わたしは長年、成績優秀者や学歴最優秀者と多くと関わってきましたが、そういう人=秀才型の知の持ち主に「意味の豊かな知の持ち主」はいません。

人類学者のモンターギュ(『ネオテニー』の著者)の言う通り、学士・修士・博士と進むほど、知は萎え、使えない頭になっていく。人間力が弱まり、暗記知で誤魔化すニセモノの知者になっていくことを実感します。

ソクラテス的な大元に戻して考える深く強い知は、どこにもなく、受験知・表層知・官僚知・パターン知・情報知しかない《本質的におバカな人》で溢れます。いま、日本で頭がいいとされる高学歴者は、どうもみな本質的な意味で頭が悪いようです。

あなたは、大丈夫ですか?(笑・失礼)。

わたしは、次のようなことを発見したのです。知があるとされる有名人と問答してみると、みな自分は知者だと思っているが、実はほんとうのことは何も分からず、思慮の点では最も劣っていて、その点、かえってつまらない職業と思われている人の方が、9分9厘まで優れていることをーーー
ーーー二千数百年前の古代アテネでソクラテスが見ぬいた真理は、現代もそのまま、否それ以上にアテハマリます。

 
   (クリックで拡大)

コパチンスカヤのヴァイオリン、クルレンツィス指揮ムジカエテルナでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏協曲のCDを聴きながら、ふだんわたしが考えていることが浮かんだので、いま書いています。

コパチンスカヤは、野性的で攻撃的!?とか言われるようですが、それは表層の話に過ぎません。
彼女は恐ろしく頭もいいですが、心身と完全に一体化した頭脳です。東大や芸大は出ていませんが(笑笑)、そういうせせこましい知ではなく、はるかに豊かで深い知の持ち主です。知のありようが違います。

21世紀は、知の手段でしかない客観主義の知(ドリルに答えが書いてある知)を超えて、知の目的である主観性の知の時代になる、というのはわたしの考え=思想=判断ですが、彼女の演奏はその最先端で、時代を先取りする芸術家ほんらいの姿を見る思いです。心身が踊りだします。全身に鳥肌が立ちっぱなし。

 カップリングされているストラヴィンスキーのバレー・カンカータ「結婚」もまた21世紀の新しい音楽で、クルレンツィス指揮ムジカエテルナもほんとうに見事です。時代は大きく変わっています。ウキウキ、血湧き肉躍る。

 いよいよ主観性の豊穣への革命です。世界同時無血革命!(笑)

(※ ただし、21世紀の新たなクラシックの王道を歩む抒情的な天才ーまだ30歳のアリーナ・イブラギモヴァ(デュオのピアノはディべルギアン)は、また異なる別の魅力の世界で、序列化は不可能です。)

 

無意味ー無価値で、やればやるほど袋小路に入り、ただ自我の拡張=威張りのためにだけ役立ち、自他を深く不幸に陥れ、人生を狭め、セコイ人間にし、社会・公共問題を解決できない無用な知をため込むバカ、本質バカの世界を超えて行かないと、何一つ前進しません。「東大病ー東大教」から快癒しないと、不幸の再生産です。

リコウだとうぬぼれているあなた、大丈夫ですか?

お前はどうなのだ。はい、わたしは、ほんとうのことはメッタに分かるものではないな、という自覚はいつも持っています。

 

武田康弘

 

 

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