★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

リリィ 対 マーヤ

2012-09-24 23:55:26 | 映画

「リリィ、ハチミツ色の秘密」を観ました。

わたくしにとってミツバチといってすぐ浮かんでくるのが、幼児の頃繰り返し聴いた、芥川也寸志のミュージカル「みつばちマーヤ」である。それは「東京子どもクラブ」という通販の学習教材で、幼稚園の頃から一ヶ月に一度レコードと絵本が送られてきて、小学校低学年には交響曲などを聴けるようになるというプログラムである。芥川のそれはその一枚であった。

この教育課程は、わたくしのような既に家に引きこもりがちの幼児の場合非常にうまくいきすぎて、──小学校に入ったころ送られてくる、芥川也寸志指揮、東京シティフィルの様々な演奏について、「あれ?これはシカゴ交響楽団よりなんか演奏がまずくないか?」と感じた。──そんな世の中を舐めきった感性を育てるのに役立ったのである。

それはともかく、「みつばちマーヤ」は、いま考えてみると、プロコフィエフの「ピーターと狼」のソビエトナショナリズムがままごとに見えるほどである。マーヤは人口が増えすぎたミツバチ王国を救うために花園をみつけた、ところが、大きな「悪い」熊ん蜂がマーヤを拉致する。なぜか熊ん蜂軍はみつばち国を攻める計画をしていたのだ。が、脱走したマーヤに密告され、みつばちの城を攻めた熊ん蜂軍は、5倍の数を誇るみつばち軍に待ち伏せされて一気に蹴散される。大勝利!ということで、新たな花園に向かって、みつばち王国は進軍する……

「ぼくらは強いみつばち──敵を蹴散らし──、花園を荒らすにくい奴、なんとかなんとか、──輝く太陽を背にうけて、おーおーおー、ぼくら正義のみつばち、いざつきすすめ、おーおーおー、空の果てまでつきすすめ、いざすすめ!」

たしか、こんな歌詞だったが、この行進曲を今もわたくしは口ずさむことが出来る。幼児への洗脳怖いわ、このみつばち連中、新たな花園獲得のためには、勝手に敵を作って進撃する──完全に帝国主義やないけ。大臣などの大人は、熊ん蜂が強いことを知っているから新たな領土獲得を尻込みしていた訳だが、脳みそがまさに蜜蜂並みの若手が強引に引っ越しと熊ん蜂打倒を主張したのであった。若手頭わるっ。ガキ向けミュージカルとはいえこの程度の話でお茶を濁しているから、いざというときに我々はガキ的になろうとしてしまうのである。……もう30年以上前の記憶だからわからんが、もしかしたら階級闘争的なニュアンスでも少し入っていたのかもしれん──が、幼児のわたくしの思いは、大きな悪い人には小さな人の正義が勝つ、つまり自分は正しいという、そんな感じであったろう……

なんという動物文学の作家だったか、ナチスの党大会を見物して、蜜蜂の社会みたいだ!すごい集団だ!と褒めてんのかけなしてんのか分からんコメントを戦時中していたが……、もうそんなメタファーごっこで安穏としておれる時代は永久に過ぎ去った。

「リリィ、ハチミツ色の秘密」は、親の夫婦喧嘩をみてしまった娘・リリィが誤って母親を撃ち殺してしまうところから始まる話である。そこに公民権運動下の黒人差別を絡めた話。