瓦町駅の近くの線路脇にお地蔵さんがいる。夕方になってちゃんと中に明かりが点っていた。
ひろゆきという人の『無敵の思考 誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21』を手に入れたので読んでみた。
200頁以上もあるのに、2時間以内で確実に読めるコスパ最強の本であった。
ひろゆき氏は2ちゃんねるの成立に与った人として有名になったが、わたくしにとって、2ちゃんねるの登場は、ある種の集合意識の仕業に見えた。一人の仕業に思えなかったのである。で、この本も、ひろゆき氏の偏屈があらわれているというより、「けっこうこういう考え方の人いるよなぁ、おれも少しばかりはそうだし」という感じの本である。だから、わたくしは、この本に書かれている言説はそのものはほとんど信用しない、実際に考え方はどうあれまともかどうかはまた別問題なのである。
最初に書かれているところの――、物事に対処するため自分のルールを決めておいて、いまくいかなかったら修正するという考え方は、さしあたり使える。ただし、このような考え方がうまく機能するためには、ひろゆき氏のように行動の前に合理的思索が来るような内面的な人であることがたぶん必要である。氏は、みんなで「和」して決めたことをルールとするのが日本で、自分はそうじゃないみたいな書き方をしていたが、――むろん日本の現実においては、「和」してルールを決めてもいないし、思いつきで行動して考えを後付けしているうちに「おれ様ルールは合理的だ」みたいなタイプがむしろ多く、そういうタイプが氏に共感して却って考えるタイプを「うじうじしている」といじめているわけである。ひろゆき氏はたぶん、そんな風土を知ってて喋っているわけで、つまり氏の処世は、コスパがよかったのだ。おそらく、ある種の弱者の生存戦略だったのであろう。人を怒らせた方が有利、と氏は書いていたが、本当の強者はそんなことは考えない。ひろゆき氏のこの本は、広く存在する中途半端な頭脳の大衆にたいして極めて優しい態度で書かれているのである。
そういえば、氏は友だちや彼女と同居して生活することが多かったらしいが、氏からはなんとなくヒッピー的な雰囲気が感じられる。
氏の思索体質は、音楽をほとんど聴かないというところにもあらわれている。音楽は、相手がいないのに「いいねー」みたいな同調性に浸ることが求められるので、非常に奴隷的な行動にちかいのだ。氏は、その前に考えたいのだろう。
だいたいこの本は200頁ずっと自己分析をやっているわけで、普通自分に対して飽きるだろうと思うが、そうでもない人がいるのである。
というわけで、こういうタイプは非常に独善的になるか、他人に対しても有能になるか、みたいなところがあるが、ひろゆき氏がどうなのかは分からない。
外国に行って帰ってくると、「日本語通じるじゃん」ということで「余裕じゃん」という気分になれるらしいのであるが、たしかにそういう人はいる。わたくしが知っているそういう人は、外国に行く前でもクズ、帰ってきてもクズであった、が……。
思うに、かかる現象がありうるのは、所謂自己改革マシーンみたいな人間がたぶん、ファシストの理想型だからである。そこには思想も文化も相対的なものに過ぎず、ストレス要因なのだ。