最近、大学の授業で、「随筆」を書かせてみている。学術的なレポートのスタイルはどうも窮屈なので、特に若い学生に随筆を書かせてみるのである。日記みたいなものではなく、詩や小説の解釈を「随筆」として書かせるのである。
すると、頭の働き出す学生がいる。もっとも、全員ではなく、かちっとした学術的なものを要求した方がよい学生もいる。
教育はやろうと思ったらすごく時間がかかる。教育が、学生を社会に馴致させる側面と反社会的に自らを防衛する側面の両方を扱っているから、という根本的な問題があるからである。後者を重視して、主体性などを中心にプログラムしても、近代社会みたく前者を中心にプログラムしても、どっちもお互いは排除されずにくっついてくる。これをあまり簡潔にすることは出来そうにない。
考えてみると、学生の一部にとっては、随筆風の考え方の方が、内発的に「社会性」を帯びているのである。で、やってみたわけであった。