『9条の挑戦』という本の読書会に参加。冷戦下の昭和時代を知っている者が、安全保障のジレンマを偶然性による生成と考えるのに対し、最近の大学生は必然性によるジレンマに思えるようだ。第二次大戦のときもそうだったのだが、その必然性故の出口なしの情況を突破するのはパワーによる破壊しかないと考えてしまいがちなのではないか。しかし、突破など本当はいつもあり得ず、過去の研究の結果の漸進が歴史を動かしている。庶民だって本当はそうなのだ。
問題は、自分に対する認識のありようと同じ程度に困難な、過去に対する認識のありようなのである。安全保障でもなんでもそうなのだと思う。挑戦はいらない。必要なのは挑戦という研究である。