最近は和歌や詩に対する関心が出てきていっこうに体に力が入らないわたくしである。今日は授業で、おぞましさとかわいさの関係について「透明人間」というコンセプトを題材に考えてみた。戦後の特撮映画からピンクレディー、東京事変などを扱う。そろそろファシズム論に入らなきゃならない。
で、研究室に帰って、安里健の『詩的唯物論神髄』の続きを読む。一見こういうスタイルは良くあるような気がするのであるが、すごく軽快なポップスをきいているような気分にさせる。氏の詩は必ず注釈がついているが、これは詩の一部で、注釈がついにポップスじみた軽快さにまで昇華している。音楽を絶対に拒否するようなものとして。音楽的ではないのだが、そこにはある種の韻律がある。
歌謡曲のパロディなどが得意な人も結構いるんだが、そのじつ、音楽に頼ってしまう人が多い。上の詩集の場合、詩のなかの注釈がそれを拒否する。
――思うに、デカダンスというのは非常に感染力のあるもので、中年とはそれとの闘いである。何かに頼るようになるとデカダンスに陥る。