★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

蛭子神社を訪ねる(香川の神社188)

2019-05-27 23:05:24 | 神社仏閣


蛭子神社は沙弥島。祠のなかをみると蛭子さんが数人おられるので蛭子神社であろう……

わりと島の神社には……これが祀ってあることが多いらしい。



珊瑚っ



仲良くやしろあり。



中には亀さんが鎮座。仄聞したところ、近くの濱に打ち上げられていた亀さんを祀ったということである。決して、カミとカメみたいな語呂で祀ってしまったわけではないようである。高松のシティ水神にも亀さんがいたが、それは本殿の外にいた。我が国では内と外の区別は重要だ。しかし、外から内に入ることはもっと重要な意味を持つ。

大統領が土俵の中に侵入したことが重要であるように。我々は、それを別に境界侵犯だとは必ずしも思わない。富をもたらしてくれる大物は内に入れてもいいのであった。トランプは蛭子みたいなもんである。貧乏神であってもまだぎりぎり許せる。問題は、疫病神みたいなもの(しかもそれが日本人)になったときが我々の凶悪さがでてくるときである。ほとんどの我々の憎悪が、外にではなく内に向かっていることは重要である。自虐的な人々を攻撃しようとして、結果的に自分たちの内部を虐めているのだから、ますます自虐的である。