二十七日。大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。かくあるうちに、京にて生まれたりし女児、国にてにはかに失せにしかば、このごろの出で立ちいそぎを見れど、なにごとも言はず、京へ帰るに、女児のなきのみぞ悲しび恋ふる。ある人々もえ堪へず。この間に、ある人の書きて出だせる歌、
都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
またある時には、
あるものと忘れつつなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける
物語としてこういうところは本当に上手なのである。現実の描写がいつのまにか、行き先で死んだ女の子、ひいてはそれを悲しむ人々に延びて行く。この旅は、四国への旅なのではなく、そういう感情に延びていく何ものなのかなのである。
といひけるあひだに、鹿児の崎といふところに、守の兄弟、またこと人これかれ、酒なにと持て追ひ来て、磯に下りゐて別れがたきことをいふ。
守の館の人々の中に、この来たる人々ぞ、心あるやうには、いはれほのめく。
延び行った先に、人々が酒などを持って追いついてくる。これが「心ある」という感じで、歌そのものよりもこういう情景が心を象っているとおもうのである。
わたくしは、歌の世界と現実世界がなんか離れてきたと思われてきた当時の世界を想像する。
源氏物語がその背後にある夥しい蒙昧の民の群衆に存立の礎をもつように、我々の時代の文学もこの伝統的愚民にその大部分を負う。
――三島由紀夫「八月二十日のアリバイ」
三島由紀夫が思いえがいているのは、その「存立の礎」にその実、愚民を遠ざかった距離ではなく、移動する彼らの「心ある」情景を見出そうというのだ、と思う。途中で、そうではなくなって愚民じゃなく、群衆になってしまった気がするんだが……
わたしはあまり諦めたくないと思っている。