此の外牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなく・そしり給いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国国にして一一にかたるに十方無辺の世界の一切衆生・一人もなく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者・供養しては・あしかりぬべしと・しりぬ。
「牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光」などの沢山の比喩で釈尊は二乗を貶しつづけたのだとあるが、牛と驢馬の乳、瓦と金の器、蛍と日光、など、よくよく考えるまでもなく、どちらも趣があってよいとおもうのだ。比喩というものは相手の常識に価値を委ねる。だから学校でも案外大事なところでは比喩を使ってはいけないのは常識だ。日蓮も、あえて、この後の法華経での二乗の評価に移るにあたって、スプリングボードを用意したのかも知れない。日蓮としては確実に読む者を打ち倒さなければならぬ。打ち倒された読者は起き上がって、――文字通り立ち上がる必要があった。
もっとも、仏教は、求道以外に一種の休憩の意味を持っていた。それは岡本かの子が「褐色の求道」でえがくようなドイツ人の青年に限らない。ドイツの唯一の仏教寺院に参拝していたドイツの青年は、ドイツでの生活に疲れて仏教に惹かれインドに行きたがっていた。しかし恋人への執着をたちがたくみえたので、岡本かの子はヘッセの「シッダールタ」をすすめておいた。時を経て、もう一回岡本かの子が逢いに行ってみると、ちょうど恋人と一緒に寺で手を合わせていたところだった。
「いや、ヘッセの本はまだ買いません。この象徴的な東洋の文字の縦に書いてある鼠色の石碑に向って、あなたの教えた通り手を合せていると、何となく静かな気持ちになって感情がスポイルされます。それで此の間からこの女にも教えてやらせています。けれどもこの女は何とも無いと言うのです。この女が私にくっついて居るうちは私の印度入りは絶望です」
彼は女を顧みて苦笑した。
青年はレストーランに残って働き、私は彼の恋人の女優と同じ汽車で伯林へ帰った。汽車の中で、私は彼女に訊いた。
「あなたは何が望みなのですか」すると彼女は猶予もなく答えた。
「私は早く結婚して主婦になり度いと思って居ます。そして、もうそうそう方々を駆け廻らずに、家にいてじっと暮して、掃除だの、裁縫だのをし度いのです」
岡本かの子は、これも仏の導きだというつもりはあるまい。