昨日、なにか研究会か学会か何かで、文体とは何ぞやという議論のなかでわたしが、作家の字の汚さについて的外れなことをいいまくって会場がざわついてきたので焦って「開目抄」を最初から捲し立てるという怖ろしい夢を見たのであるが、みなさんいかがお過ごしですか。というわけで、「開目抄」の続きである。
弥勒菩薩・涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を仏・爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ等と・とかせ給いしを疑つて云く「如来太子為りし時・釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり世尊・云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまえる」等云云、教主釈尊此等の疑を晴さんがために寿量品を・とかんとして爾前迹門のききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、正しく此の疑を答えて云く「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」等云云。
久遠実成、つまり釈迦はその生涯で悟りを得たのではなく、五百塵点劫の過去世において既に成仏していたのであった。釈迦を疑い質問したのは弥勒菩薩である。よくわからんが、このかたがいつかわからないが我々を救いに来るので、なにをしてても良い感じがするし、もしかしたら塵レベルの我々であってももしかしたら釈迦のように既に成仏していて、いつかそれを自覚するかもしれないのであった。案外、我々はちょろい人生を生きているのではないだろうか。
――そんな罰当たりの人間が多い昨今、一回やはり全員地獄に落ちた方がいいと考える人も多いであろう。先ほど、昭和7年版の『無の自覚的限定』を引っ張り出してみてみたら、前の持ち主の勉強ぶりがすごかった。昭和初期の西田主義者の大学生なのか、一生懸命線を引いて勉強している。この学生はしかし、やがてひどい世の中をくぐり抜けなければならなかった。
今日は早速、檜垣立哉氏の『バロックの哲学』の九鬼論と西田論の一部を参考に、「永遠の今」問題を授業で扱った。柳田國男をやっていたつもりがこんなことになっている。やっていることは抹香臭いが、講義は迷走している。我々の講義は、この季節、エアコンで冷えた部屋の中で、閉ざされている。わたしが一番長大な論文を書いたのは卒業論文である。あれは、クーラーも扇風機もない下宿でほぼ裸で執筆していたから、壮大であったのであろうか。わたしは西田ではないが「周辺のない円」となり、下宿に私の内部は拡張し、下宿の大きさに成り、いつもの能力より全てがあがっていたのではないだろうか。
エアコンの風が、無常の風ではないと誰が言うことができよう。
干飯一斗、古酒一筒、ちまき、あうざし(青麩)、たかんな(筍)方々の物送り給ふて候。草にさける花、木の皮を香として佛に奉る人、靈鷲山へ參らざるはなし。況や、民のほねをくだける白米、人の血をしぼれる如くなるふるさけを、佛法華經にまいらせ給へる女人の、成佛得道疑べしや。
――日蓮「妙法尼御返事」
日蓮は、贈られた物物にさえ、民の骨とか血を想起する。ここまでくると、どういう部屋で講義をしようと関係なさそうだ。