既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。
このあと、法華経をはじめとする引用が怒濤のように並べられ、なぜ日蓮がこんな目に遭っているのか、その根拠が日蓮伝ではないお経によって証明されるのである。これは奇妙なおかしいことのように思われるけれども、われわれにとって生きている意味の証明とは、われわれが何かの特別な復活であることによってなされること屡々である。これに比べると、サイエンスの再現可能性などは、みんなに再現されてしまうことなのであまり意味を持たない。我々の苦難とは、まさに嘘のようにみえるのであって、釈迦の苦難も我々の苦難も嘘じみた趣においてあり、しかもありえなそうな復活によって意味を持つのである。
とうとう二十年来の肩の重荷をおろしましてほっといたしました。ふりかえってみますと、私が十五歳の折り、内国勧業博覧会に「四季美人図」を初めて出品いたしまして、一等褒状を受け、しかもそれが当時御来朝中であらせられた英国皇太子コンノート殿下の御買上げを得た時のことを思い合わせまして、今度皇太后陛下にお納め申し上げました三幅対「雪月花図」とは、今日までの私の長い画家生活中に、対照的な双つの高峰を築くものだと考えます。自分の口から申すのも変ですが、今度の「雪月花図」こそは、それほど私がありったけの全精神を注いだ努力作品なのでございます。
――上村松園「あゝ二十年――やっと御下命画を完成した私のよろこび――」
対照的な二十年というのはこういうものだ。日蓮の二十年が寸断された弾圧の時間であり、長いというよりも爆破したい一種のものと化しているのに対し、上村松園の二十年は時間である。上村にとって天皇は時間を与えるものである。