★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

He had no further intercourse with Spirits, but lived upon the Total Abstinence Principle,

2022-06-23 22:54:28 | 思想


かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば聖賢はやうやく・かくれ迷者はやうやく多し、世間の浅き事すら猶あやまりやすし何に況や出世の深法悞なかるべしや、犢子・方広が聡敏なりし猶を大小乗経にあやまてり、無垢・摩沓が利根なりし権実・二教を弁えず、正法一千年の内、在世も近く月氏の内なりし・すでにかくのごとし、況や尸那・日本等は国もへだて音もかはれり人の根も鈍なり寿命も日あさし貪瞋癡も倍増せり、仏世を去つてとし久し仏経みなあやまれり誰れの智解か直かるべき、仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は爪上の土・謗法の者は十方の土」とみへぬ、法滅尽経に云く「謗法の者は恒河沙・正法の者は一二の小石」と記しをき給う、千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたからん、世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪上の土・仏法によつて悪道に堕る者は十方の土・俗よりも僧・女より尼多く悪道に堕つべし。

「開目抄」は真に生まれ変わった日蓮が書いた未来記みたいなものである。われわれは如何にして未来をみるであろうか。日蓮に敵対する者が地獄に墜ちることが彼には怖ろしくもありありと見えていた。これは真の見え方であろうか。

今日は、午前中、「クリスマス・キャロル」についての従業を拝見して、久しぶりに飜訳をめくってみたが、けっこう感激したので、わたしにはまだ清い心が残っていたといへよう。ディケンズは31歳でこの作品を書いている。この作品にふれたときわたくしは中学生で、1984年の映画によってであった。NHKが放映してたのである。わたくしはとても感激した。しかし、今思うと、確かに若いやつが書いたという感じがしてくる。

未来の自らの死を精霊によって見せられた老スクルージは、現在に帰ってきて「私は過去現在未来に生きるだろう」と決心する。まず、すくなくとも、これが終活みたいなセコイ形にならないのはいい。このセコさがなくならないかぎりSDGSとか無理だろうに。。。それはともかく、未来をみてしまった彼がなぜ現在からその未来を変えられると思ったかと言えば、自らの中に「精霊」がいるからである。「精霊」がみせたのは未来だけでなく彼の人生であった。つまり精霊とは人生を視る精神のことであった。それとともにあれば、未来がどうなってもよいのである。スクルージは人生と離れた生き方をしていたのである。彼が従っていたのは、自らの利益という自我であって、人生ではなかった。そして、人生は自分よりも他人の人生と相互的に繋がっている。

わたしは、日本の大河ドラマが人生を描いているとは思わない。まだ彼らの生は目的とか利益に従属している。義仲でさえ源氏の天下というつまらないものに従属していた。わたくしは、やはり、義仲どのや巴様に泣いておるようでは我々は自らの生を転回出来ないと思うのだ。もういっそ、大河ドラマの主人公を後土御門天皇あたりにしてやっと違う段階に進むのではないかと愚考する。応仁の乱以降、神性を失った天皇の歴史は頭ではそう理解できる。しかし死後一ヶ月近く放置されていたと言われる後土御門天皇の未来を描く勇気が我々にはないのだ。未来の精霊に託す他はない。これを描くには、スクルージとともにある精霊が必要だ。そして、精霊との離別が更に必要である。

He had no further intercourse with Spirits, but lived upon
the Total Abstinence Principle, ever afterwards; and it was
always said of him, that he knew how to keep Christmas
well, if any man alive possessed the knowledge. May that
be truly said of us, and all of us! And so, as Tiny Tim
observed, God bless Us, Every One!