まづ、最初に、nih 一類の語から考へて見る。第一に思ひ当るのは、丹生である。「丹生のまそほの色に出でゝ」などいふ歌もあるが、此は略、万葉人の採り試みた民間用語に相違ない様である。山中の神に丹生神の多いのは、必しも、其出自が一処の丹生といふ地に在つた為と言はれぬとすれば、此を逆に、山中の丹生なる地が神降臨の場所であつた、とも言ひ得られる。江戸時代に発見せられた天野告門を読んだ人は、丹生津媛の杖を樹てたあちこちの標山が、皆丹生の名を持つてゐるのに、気が附いたことであらう。私には稲むらのにほが其にふで、標山のことであらう、といふ想像が、さして速断とも思はれぬ。唯、茲に一つの問題は、熊野でにえと呼ぶ方言である。此一つなら、丹生系に一括して説明するもよいが、見遁されぬのは、因幡でくまといふことで、くましろ又はくましねと贄との間に、さしたる差別を立て得ぬ私には、茲にまた、別途の仮定に結び附く契機を得た様な気がする。即、にへ又はくまを以て、田の神に捧げる為に畔に積んだ供物と見ることである。併し、此点に附いては「髯籠の話」の続稿を発表する時まで、保留して置きたい事が多い。
――折口信夫「稲むらの蔭にて」