★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

神様逃亡の冬

2025-02-10 23:36:20 | 文学


村の人々は、又、氷の上へ出て「やつか」といふ漁猟をする。諏訪湖の底は浅くて藻草が多い。人々は、夏の土用中に、沢山の小石を舟に積んで行つて、この藻草へ投げ入れて置く。土用の日光に当てた石は、寒中の水にあつても、おのづから暖みが保たれると信ぜられてゐるのであつて、実際、凍氷の頃になると、魚族は多くこの積み石の間に潜むのである。それを捕へるのが「やつか」の漁法である。その積み石をも「やつか」といひ、「やつか」の魚を漁ることをも「やつか」と言ひ做らしてゐるのである。「やつか」の所在は、「やつか」を置いた漁人にあつて何時でも明瞭である。氷の上に立つて、湖水の四周から、嘗つて記憶に止め置いた四個の目標地点を求れば足るのである。二個づつ相対する地点を連れぬる二直線は、必ずこの「やつか」の上で交叉することを知つてゐるからである。

――島木赤彦「諏訪湖畔冬の生活」


諏訪湖では御神渡りが今年も難しそうであるが、人々が科学的根拠に頼って諏訪湖を眺めている時点で、神様がどこかににげた可能性あり