いとよく払らはれたる遣水の心地ゆきたる気色して、池の水波たちさわぎ、そぞろ寒きに、主上の御袙ただ二つたてまつりたり。左京の命婦のおのが寒かめるままに、いとほしがりきこえさするを、人びとはしのびて笑ふ。
このあと泣き上戸になっている道長とか祝いの舞とかがこれでもかと書かれているのに比べると、肌寒さのなかの天皇の質素な姿が妙に印象に残る。しかもこれを心配する年がいった女房をみんなで笑っているのだ。よく言われていることであろうが、紫式部はこういうところよく見ている。見れば分かることなのだが、天皇と左京の命婦の姿の前に、埃一つない遣り水の流れが、風で立ち騒ぐ様など、もうすでに「情景」である。風景のなかにすでに物語が始まっている。
げに我らは、
暖かなる日光に浴し、
空気をも(その清新なるものを)呼吸し能わず。
――西村陽吉「遙かなる情景」
桎梏が桎梏であるのは、「情景」が動かず物語が始まらないからだ。プロレタリアでもマルチチュードでもなんでもいいが、物語が動かないうちは、人との繋がりは同一性を確認しただけに終わる。同一性において、紫式部と他の女房はなんの違いもなかったし、天皇と道長だって同じだったのだ。我々の相対主義は、違いではなく、同一性の確認に向いがちなのだ。自分と同じ違いを求めて敵を捜すのが相対主義だ。――で、コロナ処理で各国の特徴がでてきたところで、さて、我々は一九世紀から物語を始めつつあるのか?