★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

伏石神社を訪ねる(香川の神社2-17)

2025-01-03 23:31:51 | 神社仏閣




結局、人間の目標とは、それを認識するものがじぶんしかないので、あらゆる自己欺瞞が可能である。しかし、そこに神頼み(神仏への依存)が挟まると、信仰の程度にも因るだろうがあるていど、その認識が自分から自分への循環だけでなく、神仏からの贈与や直接的批判が可能になり、自己欺瞞の程度が低くなる可能性がある。全ての場合そうではない。とくに戦争の時とかは神頼みは自我の肥大に関与してしまう。が、平時の大したことのないエゴイスティックな日常の神頼みには、可能性がある。

ということで、神頼みの有効性は条件としての平和がくっついているのであった。で、そういう場合、平和を願うとなったらどうなるのか?