松本 だから争議の出発が労使協調会で決まったものを地主側が押しつけて来たという、そこから始まっているわけですね。この西塩田の争議でね、よく名前出て来る人だけど、黒坂勝さんの役割はちょっと変わったというか、どんな役割をはたしていたのでしょうか。
斉藤 勝さんて人の名は当時、かなりひびいてて私は勝さんにはそう行き合ってはいないがね。あの人は、そういう意味で面白い役割をしているですよ。農民組合の会合に出て来るなんてことは無いわけだ。
金井 ほら、村役場に勤めてて、早く言えば影武者みたいな(笑) もんで、小作側に同情しながら、まあ、入れ知恵してたっていうか、そういう役割らしいな。だから悪く言う人は『黒腹勝』とかいって(笑)
深町 私ら、黒坂さんの役割っていうのを評価してたもの、ちゃんとね。
松本 前山寺の住職の回顧録にあるように住職の方でも黒坂さんは組合側だっていうふうに見てますね。
小平 住職の研究会から消えた人の一人として。
高遠 坊主のやった青年部みたいのあったでしょ、大部分の人が、高倉さんの方へみんな行っちゃうわけだ。
――「西塩田小作争議を語る」(『長野県上小地方農民運動史』)
『日本暗殺秘史』、この映画もそうであるが、こういう映画が人情ドラマにするために、というより、マルクス主義者もびっくりの反映論によって――事件を当時の貧困とか失恋とか時代相とかに原因をもとめ、天皇とか法華経とか、国体なんとか説とかを看過しつづけているのはだめだ。思想犯を否認しているうちに思想の存在を否定してしまっている。
確かに、机上の空論だけで暗殺事件が起きるわけはなく、――むかしひとからきいたことだったが、戦時下、有力地主から不動産をもらってけっこうな土地を所有した寺がたくさんあり、勢いその寺は不動産や金を出した連中に頭があがらなくなり、保守的な青年会などの苗床として機能したみたいな話は、上の運動史でも証言されていた。かようなつまらないことで仏教の転向?は起こっていただろうし、あまりにつまらないので、戦争責任の話題にもあまり上ってこない。
それでも、血盟団事件の井上日召の拠点となった寺みたいに目立たなくとも、神社や寺が思想転回をなすだけの空間を用意したことは確かであろう。上の農民運動に関係していたタカクラテルなんか、そういう寺の青年部なんかを一気に転向させる弁舌の力があったということだ。当時の農村運動なんか、あのひとの演説はすごかったとか、勉強会での話は面白かったとか、文字文化よりも口承的な感じで運動が広がっていた可能性がある。「セヴンテーィン」の少年も、右翼の大物の怒号的演説にふれて自分もその吠え方を即座に身につけた。考えてみれば、今もそういう現象は多い。
戦前の長野県の、京都学派及びマルクス主義的なものの勉強会運動は、本を読む以上に「話を聞く」ものだったのかもしれない。京都学派も○クス主義者も、その晦渋な文体は文章としての武器であったが、話すと案外分かりやすい人も多かったわけであった。
最近、どこかのアナウンサーが男性の体臭がひどいのでやめてみたいなツイートをしたところ、首になってしまったそうだ。加齢臭とか男性臭とか化粧臭とかそりゃまそういうもんもあるであろうが、國文學者にとってもっとおそろしいものは萬葉集とか古今和歌集とか漱石全集とか、――とふざけてみるまでもなく、文字が無臭であることは重要だ。臭いの恐怖は、自らへの恐怖でもある。そしてツイートとは所詮文字で書かれた口承文芸であって、臭いに近いものなのである。だから我々はそれに感染したり恐怖したりする。
口承文芸には、よみがえってはならないものへの恐怖がある。それを打ち消すのも口承的なものの特徴であり、戦前の言論弾圧は結局、文章を書くな、ではなく「口を閉じろ」の運動であった。対して、文字には我々がよみがえらせようとするもの、現に存在しているもののすべてが無臭で入り込む。古文漢文、へたすると英語やドイツ語も現代国語の一部なのだ。我々の文章にはそれら全てが全部死んでない状態で生起する。言文一致?の現代の文体なんてのも存在しているわけじゃなく何かの過程の産物だ。過去は決して更新されたりはせず掘り返されながら変容してゆくものなので、役に立つとか立たんとかいう人はいつもいるが、結局我々の変容する習性に勝ったことはない。