★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

愛国者は好色一代女2を欲する

2024-11-01 23:08:38 | 文学


これをおもふに、東そだちのすゑずゑの女は、あまねくふつつかに足ひらたく、くびすぢかならずふとく、肌かたく、心に如在もなくて情にうとく、欲をしらず物に恐れず、心底まことはありながら、かつて色道の慰みにはなりがたし。女は都にまして何国を沙汰すべし。ひとつは物腰程可愛らしきはなし。これわざとならず、王城に伝へていひならへり。 そのためしは、八雲立つ国中の男女、言葉のあやぎれせぬ事のみ多し。これよりはなれ島の隠岐の国の人は、その貌はひなびたれども、物いひ都の人にかはる事なし。やさしくも女の琴碁香歌の道にも心ざしのありしは、むかしこの島に二の宮親王流されましまし、よろづその時の風儀今に残れり。


好色一代女の有名な田舎女への悪口である。

横道誠氏の「みんな水の中」にはあまり地方性みたいなものを感じなかった。ゴジラもなんか水の中から来たから地方性を感じない。彼らは移動する人種である。

今日のスポーツ紙は大谷世界一一色であったが、アメリカ世界一をワールドシリーズと抜かす帝国主義下の日本ならではある。とはいっても、世界の田舎もん、日本で「ゴジラ」の愛称の人よりもでかい大谷に酔うのはしかたがないが、「東京」はそのなかでは案外田舎性を発揮してくれることもあり、大スポ(大阪スポーツ=)だけが、つまり「東スポ」だけが、「クラゲUFO発見」とかが一面であった。クラゲUFOは、ロシアでも中東でも見出されているそうである。野球よりもよほどグローカルだ。

ゴジラがグローバル化してしまった以上、残るは源氏物語か好色一代女が日本のアイデンティティを支えるべきだ。アイデンティティは作者を日本人としていじくり回せることと関係がある。三島由紀夫や安部公房があれこれといじれるキャラクターになっているのとおなじことだ。最近、源氏物語の作者が道長と密通してそれをやっている。ゴジラの原作者が吉田茂と密通してもいいはずだが、なんかそれがやりにくいのは、ゴジラがグローバル化した証拠であるかもしれない。

ゴジラ続編決定らしいが、――わたくしは、つまり、ゴジラ続編いらねえから愛国者として好色一代女2とかが見たいのである。