ラウル・デュフィの絵からは音が聞こえる。オーケストラの絵だけでなく、「電気の精」みたいな作品からも音が聞こえる。音楽からも音が聞こえるとは限らない訳でね、文学からも言葉が聞こえるとは限らない。
以前、モーツアルトのあとにメンデルスゾーンを演奏会で聞いたとき、逆の感想を持った。音が聞こえなくなり、心が聞こえると思ったのである。
相撲をして相撲たらしめてゐたところのものは飽くまでも土俵の形式であり、そのやうな古来の伝統を支える時代的な雰囲気が、力士の生活する環境だけを特殊なものとしてその存立をゆるしたことが、民族の伝統につながる美くしさに永遠性を賦与したのである。
――尾崎士郎「土俵の夢」
こういう誇大妄想だって、なにかそのものの固有性を聞き取ろうとした結果でないことはない。それを永遠性とか言ってしまったので別のものに化けただけだ。