★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

大学が静かですなあ……

2013-06-20 16:57:42 | 文学


朝から吉川英治の『三国志』を褒めて褒めて褒めまくるレジメをつくっていたので、警報発令で休講になってるのも知らずに……

大学は人がいなければいいとこだ……

取水制限へあと何日?

2013-06-19 23:36:37 | 食べ物


×川県は毎年のように水不足になります。今年もほとんど雨が降ってないので、ダムの水量は、うどんのぶっかけ汁ぐらいしかありません。

でも今日、ちょっと降った……しかしこれぐらいではうどんをゆでる量しかない。

雲よ散れ わが炎の戦車をもて

2013-06-18 22:59:51 | 映画


わたくしは文学での「スポーツ感動もの」を絶対認めんが映画の「スポーツ感動もの」は大好きという、文学研究者にありがちな差別主義者であるが、「炎のランナー」については、どうも複雑な感情を持っている。初めて見たとき、正直なところ「はやく黒人や黄色にやられてしまえ」と思ったからである。オリンピックで優勝し弁護士として活躍して友人たちに見送られて生涯を終えたユダヤ系の主人公に対して、スコットランド国教会で説教するもう一人の主人公は、オリンピックで優勝した後、中国で、たぶん日本軍の収容所で死んだ。この明らかに人を居心地の悪さへと追いやる結末ではなく、彼らが英国のためという目的を表向き遂行しながら、差別への復讐と神の栄光のため(というより……以下略)にオリンピックで勝利する内容の存在感の方が強いのはたしかだろう。下手すると英国讃美にも見えなくもないわけで……。たしかに、オリンピックが民族や宗教の戦いの悲惨を、その現実の代わりにスポーツで昇華させようとする試みであるのは、理屈としてはわかる気がする。しかし、それが「代わり」になっていればの話だ。現実の戦いの悲惨さは決して取り替えがきかない。だいたい、国家や宗教が絡んだ差別や戦争は常に何かの代行として出現しそれが可能なふりをしているからタチが悪いのである。国家が様々な物語を消去するところで成り立つように、宗教にからんだ美しい物語も、国家のなかの外部を、あるいは文字通りの外部を美しく消去する。オリンピックの感動的な描き方とナチスのベルリン大会の仕組まれた「崇高さ」は全く別物という訳ではないのである。

といった一般的な話はともかく、この映画も女嫌いの物語の系譜に属している気がする。主演男優がゲイだったのは偶然だとしても……

家族と友情

2013-06-16 23:50:39 | 文学


二冊の間を行ったり来たり…

小谷野氏がフロムの「愛するということ」を害悪をまき散らす本みたいに書いているが、全く賛成である。共通科目で恋愛小説を扱ったときに、フロムのこの本をよっぽど紹介しようかと思ったが、学生が勘違いして恋愛という「スキル」を身につけ悲しい人生を送ることを心配して、無視させていただいた。

悲望のなかの自虐

2013-06-12 23:33:30 | 文学
昨日は、ドラマ10の「第二楽章」の最終回を細君と観て、茫然としたまま無為な時間を過ごしてしまったので、今日はちゃんと本を読んだのである。



修士論文を書く前に、この人の八犬伝論を読んで、それが氏の修士論文であったという事実を知りあまりのプレッシャーで頭がフリーズしたことを覚えている。最近は、指導学生が里見×を論じているので、その評伝を読んだ。論じ方には疑問があるが、おもしろい本だった。

で、小説も読んでみた。研究者養成の大学院にいたことのある者なら、怒りと絶望が思い出されて、果ては冷や汗がでてくる小説である。漱石の影響が見られるような気がしたが、最後まで読んだらそうでもない気がした。私は、「浮雲」みたいな書き方の小説はあまり好きじゃない。だからといって、花袋の「妻」みたいなのもどうかと思う。「それから」は、問題の入り口に立っていたら、横から何者かが肘鉄を食らわせてきたような印象を受けて…というか、漱石の猫みたいな視線がいやなのである。私は漱石を批判した中勘助の方が好きである。…で、小谷野氏の小説はどうかといえば、よくわからない。自虐的瞬間のポイントが小説の中に旨く嵌まっていて、しかしその嵌まり方がどうもあまり好きにはなれなかった。氏は、他人に対しても自分に対しても案外社交的だと思う。私が「苦役列車」の人の作をあまり好きになれないでいるのもそのせいである。ストレスフルな場面で我々は涙か笑いで逃げたく思う癖がある。しかしそれは願望であって、小説やバラエティ番組では成立していても、現実のランダムな不幸の連鎖にそのような作戦は……

No Country for Old Men

2013-06-11 22:01:56 | 文学


この映画、「あらゆる」死者に対する追悼にみえたね…。生の世界は滅茶苦茶にできていて孤独だが、死ねば親しい死者に会えるのだ、と。この映画は基本的に西部劇だと思うけれども、差別と砂漠の中で哲学が育つような、西部劇にはそんな認識の地点が用意されていたのかもしれない。そこまで行かずに、差別に対する恐怖でジャンルが消滅してしまったのかもしれないが…。

前田敦子はキリストを超えた――わたくし篇

2013-06-10 23:11:20 | 音楽


「私のことを嫌いになっても、AKBのことは嫌いにならないでください!」(前田敦子さん)

「私のことは嫌いになっても、アメリカ日本のことは嫌いにならないでください!」(総理)

「私のことは嫌いになっても、私の音楽は嫌いにならないでください!」(マーラー)

「私のことは嫌いになっても、神のことは嫌いにならないでください!」(ブルックナー)

「私のことは嫌いになっても、私のことを好きになってください!」(橋下市長)

「代々木のことは嫌いになっても、マルクスのことは嫌いにならないでください!」(共産主義者)

「猫のことは嫌いになっても、犬のことは嫌いにならないでくださいワン!」(犬)

「様々なる意匠は嫌いになっても、志賀直哉は嫌いになれない」(小林秀雄)

「僕のことが嫌いなの?」(シンジ君)

「嫌い嫌い大っ嫌い」(アスカさん)

「私は若者が嫌いだ!」(香山リカ)

「男女の嫌いなく入学を許可する」(理事長)

「好きな芸人と嫌いな芸人を教えてください」(ヤフー知恵袋)

「私のことを嫌いになっても、あなた自身を嫌いにならないで」(妻)

「さっさと書類にハンコ押せよ」(夫)

「すみません、ここに顧問のハンコ押してくださーい」(部員)

「水割りを下さーい。涙の数だけ」(堀江淳)

「5回もやってますが、私は総選挙がずっと嫌いでした(涙)」(板野友美さん)

「私のことを嫌いになっても、AKBのことは嫌いにならないでください!」(前田敦子さん)

「僕は宮台さんに「AKBがいっぱい」というPV集を無理矢理貸したんですけどね。間接的に感想を聞いたら「生理の臭いがするからイヤだ」って(笑)その後、延々と天地真理について語り出したそうです」(宇野常寛)