人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

霊を継ぐもの

2015-12-23 19:33:17 | スピリチュアル
新約聖書のマタイ伝は、冒頭にイエスの系図を書き連ねており、キリスト・イエスはイスラエルの王統に連なるものであることを表明しています。
イスラエルの王とは、旧約のサムエル記のダビデ王の記事に見るように、代々主なる神より油を注がれるものとされています。
メシアとは本来国王なのです。油注ぎとは、聖霊を注がれることを象徴したもので、イスラエル王統は霊を継ぐものである、ということです。
これは、実に我が国の皇統に伝わるものと意味合いを同じくしています。
天皇とは天津日嗣之尊(アマツヒツギノミコト)のことであり、日は火であり、霊に通じ、代々皇祖霊を継ぐものとされています。
一体日本国民のうち、この伝えを知るものは何人居る事でしょう。
仮に居たとしても、”そういう事は神代の時代ならいざ知らず、現代では単なる形式の域を出ない…”という認識ぐらいしかないのではないでしょうか…
私は勿論お宮の内部のことは分からぬ身なので、皇位継承の儀というものの内実など知る由もありませんが…
少なくとも昭和天皇は、ご自身が”神の末裔”であることを自認、体認されていました。
たったそれだけのことかと思われるかもしれませんが、私はこの事実は、将来昭和の知られざる歴史として語られるものとなり得るものだと思います。
いやひょっとすると、歴史の概念そのものがひっくり返ることにもなりかねません。
昭和という激動の時代、我が国は幾度か危機的状況に見舞われました。
時代錯誤と笑われるかもしれませんが、私は神意とか御稜威とか言われるものは、その運命にある人を通して人知れずはたらくものじゃないかと、密かに感じているものです。
下々の?人それぞれにも系統というものがありますが、これまでは血のつながり~血統しか知られておりません。
私は自分自身実感した事が有りますが、誰にもこれとは別に見えざる系統~霊統というべきルーツを有しているものだと思います。
ちなみに皇統というのは、血統と霊統が一致しているものとされていますが、一般では、その親子関係は必ずしも一致しているとは限らないようです。
実は、私が見えざる導師の現臨に触れた時、私はこの霊統にあるものを感じたのでした。(血統的なものも有るかもわかりません)
そのような霊体のような実体を拝したことは無かったですが、その現臨は私の魂の親、ミタマ親であると実感されたのです。
人が霊性に目覚めることが出来るのも、この霊統有ってのものと言えるでしょう…。

ところで聖書では、イエスは国王どころか、あまりにも逆説的ですが、普通の人間よりみじめな、馬小屋で私生児扱いとして生まれたのでした。
これは既に霊統と血統の一致は崩れてしまったことを示している訳ですが、イエスの先触れバプテスマのヨハネは、パリサイ人に対しこう言い放ちました。「我々の父はアブラハムだ、などと思うな! 言っておくが、神は石ころからでもアブラハムの子孫を興すことが出来るのだ…」(ルカ伝)
この言葉は、王統から外れた、ごく平凡な大工の家から出現したキリスト・イエスの存在を表しているとも、どんな人間でも神の霊を継ぐことが出来る、神の子の種を有していることを示しているようです。
人とは古来と書いて、霊が止まるもの、霊を宿すものとのことです。
それは,一個なる自分から始まっているので無く、永遠に生き通しの霊統に連なるものです。
一人一人がミタマ親につながり、その縦のつながりから、綾なすように横にもつながり始める事でしょう。

いついつ出やる…”カゴの中の鳥”…。現世意識に閉じ込められた我々の象徴の鳥…






コメント
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