人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

予言と心象

2015-12-13 14:00:07 | スピリチュアル?
何年何月にアセンションが起こります…
至高なる神のお告げです…
前世は誰もが知ってるかの偉人…
テロは自作自演だ、間違いない…

宗教、スピ界で相も変わらず飛び交ってる、短絡的としか言いようのないフレーズの数々…
それ、言い表す手前で理性のブレーキを利かすこと出来ませんか?
それとも、無責任に言い放ってしまう人というのは、頭がスタン・ハンセンのように、ブレーキの壊れたダンプカーみたいになってしまったのですか?
こういう話が全て幻想、妄想だと決めつけるつもりはありません。
ただ…私にはあまりにもが無い!と感じずにおれません。
学が無いとは、別に学歴が無いとか勉強不足と言う意味じゃないです。学問やってたらエライんだなんてことじゃないです。
その問題について、自分自身で掘り下げて考えているのか…それを外に向けて発信してしまって思慮が足りないとは思わないのだろうか?
非常識だと思われてもいいんだろうか?
もっとも人からどう思われてるかなど気にかけてたら、ブログなんか書いちゃいられませんけどね。
この界隈では常識的、哲学的理性よりも直観性というものが重視されるようです。
それは”論理だなんだで真理など分かってたまるか!”と常に思っている私にも頷けることです。
ただ直観的であることと、思慮が足りないという事とは違います。

実は言うと…何を隠そうエラそうなこと言ってる私も”短絡的、非常識な事言う人間”と思われていたようなフシもあるのです。
いや私は自覚してます。ホントに危うい人になりかけた事が有ります。
それは2000年夏から秋にかけて、20世紀の終わりという、いかにもな時節の頃です。
ゲリー・ボーネルというチャネラー系の人の「光の十二日間」という本を読んだのがキッカケでした。(あなたも読まれた?)
私は思わず、ぶっ飛んでしまったのです。(多分理性が!)
何故かというと、そこに書かれていた所謂アセンションの模様がその数年前、ある人に個人的に話したこととそっくりだったからです。
ただ違っていたのは、その日その時地球全体を覆い尽くし、全人類に劇的変容をもたらすであろう光の巨大な帯…ボーネル著でフォトン・ベルトとされていたものは、不可知の宇宙線なのでした。全ての物を透過する見えざる雨という点では同じです。(フォトン…なんてものは知らなかったのです)いや、私が本当に伝えたかったことは、光子や宇宙線によるものかどうかなどはどっちでもいい、世界的規模の聖霊のバプテスマ~霊の洗礼によって全人類の意識が変容するであろう…という事だったのです。
そしてこの喜ばしき人類の祝福で、危機感をもって話さざるを得なかったことは、そのドラマの渦中にある時、全人類はとてつもない精神的嵐に見舞われ、多くの者は無意識状態に置かれるであろう…ということなのでした。
私はその時の予言(余言?)談話でその方に「これはあくまで私の想像に過ぎません」と何度も断りを入れていました。(内心は違いましたが)
しかし、その4年後私が興に任せて語っていたこととまんまのようなストーリーを目の当たりにして、私の意識下でにわかに現実味を帯びてしまったのです!しかも”私の目の黒いうちだろう”と言っていた、その運命の日はボーネルに依れば翌年の夏だというではありませんか!
”こうしてはいられない!”と私は全世界に向けて…という気持ちもありましたが…ごく少数の物わかりのよさそうな?人に当てて、この事に関した衝撃の書簡を送ったのでした。して”貴殿のご意見、ご感想を乞う…”などとしたためたものの誰にも相手にされませんでした。

その運命の日を(幾分熱は冷めてしまいましたが)固唾をのんで過ごしましたが、ただ暑くて無意識になりそうになっただけでした。
私はそれ以降、ぶっとんだ話をする際には慎重になったのは言うまでもありません。
たとえ、自分自身は確信が有るにしても心象にとどめておくようになったのです。
この心象という言葉は私の自戒の意味でもあるのです…。


コメント (2)
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