”皆さん! 騙されちゃいけません!陰謀ですよ!インチキなんですよ!”…って…
まあ、そんなヤボな事言ってないで、考えてみれば我々がこの世で見てるものは騙し絵みたいなものばかりじゃないですか!
最初からそんな風に捉えてみたら、幻想だらけのこの世とも結構楽しく付き合っていけるんじゃないですか?
真剣な顔して真実ばかり見ようとしているから、真実でないものを見せられると”騙された!”と感じるんです。
まあ、確かにぼったくられでもしたら、そりゃ悔しいですけど、見て感じて楽しかったら、楽しんだらいいんです。楽しく騙されてやろうじゃありませんか!
映画や小説、マンガを楽しむのと一緒です。そしてそれらに欠かせないキャラクターといったら悪。敵役です。
悪役あってこそのヒーローですよね。
陰謀論というものが廃れない理由も分かる気もします。(でも誰かをスケープゴートにするのは趣味悪いですよ!)
”プロレスは八百長だ!”と真面目に言ってる人たちが居ます。
私のオヤジなどがそうでした。”あの血はな、血糊なんだぞ!”とか折角面白く観てるのにもう、横から、うっとうしくてしょうが有りませんでした。
私はとても覚めたガキだったのか、プロレスは八百長だとは捉えてませんでした。あれは”筋書きのある”スポーツ・エンターティンメントです。(もっとも小学生の頃はそんな気の利いた言葉は使ってませんでしたが…)
80年代ぐらい初めぐらいまでは、ほぼ毎週欠かさずテレビで観戦していたものですが、テレビ放映自体が減ったというのが大きな理由ですが、私の馴染んでいたプロレスも廃れはじめたのと、お気に入りの花形レスラーたちも引退してしまったり、衰えを見せ始めたなどの理由から興味が薄れて行きました。
私のど真ん中のプロレス黄金時代とは、”ジャイアント馬場のインターナショナル選手権者時代”がそのまま当てはまります。昭和40年から47年くらいにかけての期間です。そして花形とはその海の向こうからやってくる挑戦者たち、悪くて、スゴくて、強いヤツらに他なりません。
このインター王座というものがどういう出自があって、どういう権威が有るものなのかは知る由も有りません。ただ日本プロレスの父、力道山が巻いていたという事で納得するしかありません。力道山の死によって空位になっていたベルトを巡る王座決定戦は昭和40年晩秋に行われました。
その相手というのが、ブルーザーだ!…ブロディ?(居たねえ…)違うッ! もう…ブルーザーといったらディック・ザ・ブルーザー・アフィルスに決まってるでしょ!”生傷男”ですよ!なんというネーミングだろう…
…(こういうことで、そのプロレスファンがどの時代に思い入れが有るか…という事が分かるのです)
それまで噛みつきブラッシーとか悪役レスラーを観ましたが、コイツはどのレスラーともその醸し出してるフンイキが違ってました。その筋骨隆々のガタイ、ホンモノのギャングを思わせる凶暴な顔つき…(これに比べたらブルーザー・ブロディはキリスト様に見えます)こりゃあ、馬場は半殺しにされちまうゾ!…
この試合はその時一回しか観てないので、あまりよく覚えてませんが、とにかく覚めたガキの私も興奮と戦慄とでヒザをガクガク震わせてしまったものです。ハッキリ覚えているのは、開始早々ブルーザーのパンチが一発、二発と馬場の胸板に”バチーン!”と音を立てて炸裂したのを観て、”これは今までのどんなパンチより説得力が有るゾ!あれだけで馬場はノビちまうんじゃないか!”と感じたものでした。
結果から言うと馬場の2-0のストレート勝ちです。これだけだと一方的に思えます。そう、私の目にも一方的に見えました。
ただし、敗者が殴って、蹴って、絞めて、ペンによる凶器攻撃…やりたい放題に勝者をいたぶっていたのです。そしてその裁定というのが前代未聞!二本続けてブルーザーの反則負け! このエンディングも鮮烈に覚えています。裁定にブチ切れたブルーザーがレフェリーのオキ・シキナに詰め寄る…”やばい! オッちゃん半殺しだ!”と思いきや、”アホクサ!やってられるか!”という表情を浮かべてサッサとリングを引き揚げて行ったのでした…
そして、立つのがやっとという状態で「力道山先生、やりましたよ!」と勝ち名乗りする馬場。…
何だか波乱含みでしたが、これが本格的な馬場時代の幕開けなのでした。
ブルーザーはその約二年後再来日するのですが、この時ほど印象に残っていません。私は”あれ、こんなに小さいレスラーだったかな?”と思ったものです。ただあの時は覚めた目で勝ち負けが分かっていても、テレビにかじりついて戦慄を覚えざるを得なかったのです。ヤケにデカく見えたのでしょう…初めてプロレスにまんまとハメられた想い出です…。
まあ、そんなヤボな事言ってないで、考えてみれば我々がこの世で見てるものは騙し絵みたいなものばかりじゃないですか!
最初からそんな風に捉えてみたら、幻想だらけのこの世とも結構楽しく付き合っていけるんじゃないですか?
真剣な顔して真実ばかり見ようとしているから、真実でないものを見せられると”騙された!”と感じるんです。
まあ、確かにぼったくられでもしたら、そりゃ悔しいですけど、見て感じて楽しかったら、楽しんだらいいんです。楽しく騙されてやろうじゃありませんか!
映画や小説、マンガを楽しむのと一緒です。そしてそれらに欠かせないキャラクターといったら悪。敵役です。
悪役あってこそのヒーローですよね。
陰謀論というものが廃れない理由も分かる気もします。(でも誰かをスケープゴートにするのは趣味悪いですよ!)
”プロレスは八百長だ!”と真面目に言ってる人たちが居ます。
私のオヤジなどがそうでした。”あの血はな、血糊なんだぞ!”とか折角面白く観てるのにもう、横から、うっとうしくてしょうが有りませんでした。
私はとても覚めたガキだったのか、プロレスは八百長だとは捉えてませんでした。あれは”筋書きのある”スポーツ・エンターティンメントです。(もっとも小学生の頃はそんな気の利いた言葉は使ってませんでしたが…)
80年代ぐらい初めぐらいまでは、ほぼ毎週欠かさずテレビで観戦していたものですが、テレビ放映自体が減ったというのが大きな理由ですが、私の馴染んでいたプロレスも廃れはじめたのと、お気に入りの花形レスラーたちも引退してしまったり、衰えを見せ始めたなどの理由から興味が薄れて行きました。
私のど真ん中のプロレス黄金時代とは、”ジャイアント馬場のインターナショナル選手権者時代”がそのまま当てはまります。昭和40年から47年くらいにかけての期間です。そして花形とはその海の向こうからやってくる挑戦者たち、悪くて、スゴくて、強いヤツらに他なりません。
このインター王座というものがどういう出自があって、どういう権威が有るものなのかは知る由も有りません。ただ日本プロレスの父、力道山が巻いていたという事で納得するしかありません。力道山の死によって空位になっていたベルトを巡る王座決定戦は昭和40年晩秋に行われました。
その相手というのが、ブルーザーだ!…ブロディ?(居たねえ…)違うッ! もう…ブルーザーといったらディック・ザ・ブルーザー・アフィルスに決まってるでしょ!”生傷男”ですよ!なんというネーミングだろう…
…(こういうことで、そのプロレスファンがどの時代に思い入れが有るか…という事が分かるのです)
それまで噛みつきブラッシーとか悪役レスラーを観ましたが、コイツはどのレスラーともその醸し出してるフンイキが違ってました。その筋骨隆々のガタイ、ホンモノのギャングを思わせる凶暴な顔つき…(これに比べたらブルーザー・ブロディはキリスト様に見えます)こりゃあ、馬場は半殺しにされちまうゾ!…
この試合はその時一回しか観てないので、あまりよく覚えてませんが、とにかく覚めたガキの私も興奮と戦慄とでヒザをガクガク震わせてしまったものです。ハッキリ覚えているのは、開始早々ブルーザーのパンチが一発、二発と馬場の胸板に”バチーン!”と音を立てて炸裂したのを観て、”これは今までのどんなパンチより説得力が有るゾ!あれだけで馬場はノビちまうんじゃないか!”と感じたものでした。
結果から言うと馬場の2-0のストレート勝ちです。これだけだと一方的に思えます。そう、私の目にも一方的に見えました。
ただし、敗者が殴って、蹴って、絞めて、ペンによる凶器攻撃…やりたい放題に勝者をいたぶっていたのです。そしてその裁定というのが前代未聞!二本続けてブルーザーの反則負け! このエンディングも鮮烈に覚えています。裁定にブチ切れたブルーザーがレフェリーのオキ・シキナに詰め寄る…”やばい! オッちゃん半殺しだ!”と思いきや、”アホクサ!やってられるか!”という表情を浮かべてサッサとリングを引き揚げて行ったのでした…
そして、立つのがやっとという状態で「力道山先生、やりましたよ!」と勝ち名乗りする馬場。…
何だか波乱含みでしたが、これが本格的な馬場時代の幕開けなのでした。
ブルーザーはその約二年後再来日するのですが、この時ほど印象に残っていません。私は”あれ、こんなに小さいレスラーだったかな?”と思ったものです。ただあの時は覚めた目で勝ち負けが分かっていても、テレビにかじりついて戦慄を覚えざるを得なかったのです。ヤケにデカく見えたのでしょう…初めてプロレスにまんまとハメられた想い出です…。