平成8年、私がある個人に向けた予言めいた話というのは、実は仕組まれたものだったのです。
話が上手く、それ以上に驚くほど聞き上手なそのヒトにまんまとハメられてしまいました。
そして…私はその事をとても感謝しています…。
そのT氏は、そもそも私の関西移住と深いつながりが有った、謎の秘教団体”D会”に私と入れ違いのように関わっていた人物なのでした。
私は既にそことは疎遠になっていて、私にとって唯一、師と呼べるような存在だったM女史もその年の春急逝されてました。
T氏はD会には確か最初建築関係の仕事の絡みで来ていたと思いましたが、いつの間に深入り?するようになったのかはよく覚えていません。多分、私がそこに遠退いていた間に氏の上に何かが起きたのでしょう?
ある日そのT氏から突然電話が有り、「ゆっくり話がしたい…」と…私はてっきり私を”D会により戻そうとしているのか”と思ったものでしたが、確かにそのような説得もあったものの、ずっとその話し合いでもたらされていたものは実に忌憚の無い交流でした。
午後の三時くらいから実に十時くらいまで…喫茶店の閉店でやむなくお開きとなったのです!
(時折、店員がうっとおしそうな顔してこちらを睨んでました)
私はその時おそらく生まれて初めて自分自身についてのある発見をしました。それは「僕はこんなに流暢に淀みなく話す人間だったのか!」というものです。
話の内容は”D会について、どういう点で共感し、疎遠になってしまったのか…””私自身が今もっとも関心を持っていること…”そして一番私の意識が高揚したのは…あの話でした…。
何かパッと脳裏に言葉が浮かび、スラスラと自然に語らされる、という今までにない経験でした。
私はその時のように人前で自分の思ってること、感じていることを素直に言い表したことは無かったと思います。
大体が氏の問いかけに対し、私が答えるという展開で行われたのですが、合間に必ずと言っていいほどツッコミが入るのです。
とにかくその交流では、話しっぱなし、聞きっぱなしという事がありませんでした。
ツッコミが入ると、しばしば沈黙のブレークとなります。そして言葉が降りてくるのをじっと待ちます。
(チャネリングをやってる訳じゃないです)
それをまたじっと待ってるT氏…。
このようにして自然と話の中身は段々掘り下げられていきます。
そして常に会話をリードしているのは聞き側のT氏のほうでした。
私はこの時、人との話し合いの中では”相手の話を聞くこと”が如何に大切な事か、ということを痛感させられました。
話そう、として語られる言葉よりも、相手によって引き出される言葉の方がはるかに中身も濃くなり、伝わり易いものだと思います。
それはおそらく意識が相手との関係を一つに結び合わせているものに向けられるからだと思います。
こういう事は、例えばある観念、信仰といったものに捉われていたら、独りよがり、押しつけがましさばかりが相手に伝わるばかりですね。
相手の話を聞くという姿勢にも欠けています。
氏はおそらく、どこかでそうした”聞き方”に関する訓練を受けていたと思われるのですが、元々そういう資質に恵まれていたのでしょう。
私は心がけていても中々できません。どっかで意識が高揚してきて発作?が出るので…リードしてくれる人がいると助かります。
そしてあの予言めいた話というのは氏からの”自分自身も含めた人類の将来について…”という問いかけに答えたものなのでした。
本当は私の心象にずっととどめておこうと思っていたのです。
どうせ誰かに話したってマトモに聞いちゃくれないんだし…
「僕が何を言っても驚かない? ヘンに思わない?」
「全然…」
「それじゃあ…」と…私は信頼というワナにまんまとハメられたのでした…
話が上手く、それ以上に驚くほど聞き上手なそのヒトにまんまとハメられてしまいました。
そして…私はその事をとても感謝しています…。
そのT氏は、そもそも私の関西移住と深いつながりが有った、謎の秘教団体”D会”に私と入れ違いのように関わっていた人物なのでした。
私は既にそことは疎遠になっていて、私にとって唯一、師と呼べるような存在だったM女史もその年の春急逝されてました。
T氏はD会には確か最初建築関係の仕事の絡みで来ていたと思いましたが、いつの間に深入り?するようになったのかはよく覚えていません。多分、私がそこに遠退いていた間に氏の上に何かが起きたのでしょう?
ある日そのT氏から突然電話が有り、「ゆっくり話がしたい…」と…私はてっきり私を”D会により戻そうとしているのか”と思ったものでしたが、確かにそのような説得もあったものの、ずっとその話し合いでもたらされていたものは実に忌憚の無い交流でした。
午後の三時くらいから実に十時くらいまで…喫茶店の閉店でやむなくお開きとなったのです!
(時折、店員がうっとおしそうな顔してこちらを睨んでました)
私はその時おそらく生まれて初めて自分自身についてのある発見をしました。それは「僕はこんなに流暢に淀みなく話す人間だったのか!」というものです。
話の内容は”D会について、どういう点で共感し、疎遠になってしまったのか…””私自身が今もっとも関心を持っていること…”そして一番私の意識が高揚したのは…あの話でした…。
何かパッと脳裏に言葉が浮かび、スラスラと自然に語らされる、という今までにない経験でした。
私はその時のように人前で自分の思ってること、感じていることを素直に言い表したことは無かったと思います。
大体が氏の問いかけに対し、私が答えるという展開で行われたのですが、合間に必ずと言っていいほどツッコミが入るのです。
とにかくその交流では、話しっぱなし、聞きっぱなしという事がありませんでした。
ツッコミが入ると、しばしば沈黙のブレークとなります。そして言葉が降りてくるのをじっと待ちます。
(チャネリングをやってる訳じゃないです)
それをまたじっと待ってるT氏…。
このようにして自然と話の中身は段々掘り下げられていきます。
そして常に会話をリードしているのは聞き側のT氏のほうでした。
私はこの時、人との話し合いの中では”相手の話を聞くこと”が如何に大切な事か、ということを痛感させられました。
話そう、として語られる言葉よりも、相手によって引き出される言葉の方がはるかに中身も濃くなり、伝わり易いものだと思います。
それはおそらく意識が相手との関係を一つに結び合わせているものに向けられるからだと思います。
こういう事は、例えばある観念、信仰といったものに捉われていたら、独りよがり、押しつけがましさばかりが相手に伝わるばかりですね。
相手の話を聞くという姿勢にも欠けています。
氏はおそらく、どこかでそうした”聞き方”に関する訓練を受けていたと思われるのですが、元々そういう資質に恵まれていたのでしょう。
私は心がけていても中々できません。どっかで意識が高揚してきて発作?が出るので…リードしてくれる人がいると助かります。
そしてあの予言めいた話というのは氏からの”自分自身も含めた人類の将来について…”という問いかけに答えたものなのでした。
本当は私の心象にずっととどめておこうと思っていたのです。
どうせ誰かに話したってマトモに聞いちゃくれないんだし…
「僕が何を言っても驚かない? ヘンに思わない?」
「全然…」
「それじゃあ…」と…私は信頼というワナにまんまとハメられたのでした…