「竜宮乙姫、金勝要神と手をたずさえて、日の出の神を御助けいたす、天垂敷き年の始め。六月九日には、皇太子と雅子殿の御成婚、目出度く納められ、まさに龍凰の契りじゃな、日の本の国の柱建ち、これで日本が世界平和の要と立つ基礎が出来たのあるぞ。目出度、目出度、仕組み成りたぞよ。宮城の内改める始めであるぞよ」(三六九神示/平成五年六月十一日)
新年明けましておめでとうございます。
本年も世の中の流行とか大勢の、体制にはちっとも影響しない、全く日陰の、一個人的なことを書き連ねて行く所存です。
おヒマなら立ち寄ってみて下さいませ。
私が昨年の暮「おやi」と思ったのは、あの宮さまが会見で物申していたことでした。
そりゃ、公的な場で天皇さまでも物は申すのでしょうが、これは一宮さまが"自分の意見を申した"ということです。
それも国の代替わりという一大行事に関することにです。
で、その行事を取り仕切る宮内庁に意見を言ったら、「聞く耳を持たなかった」とのことでした。
皇室に関わることで、自身も当事者であられるのに...
そしてしばらくしたら...どうやら一個人の宮さまの意見は"まかり通って"、この年に行われる大じょう祭の施設の一部はプレハブで行うなど、かなり公的費用は削減されるらしいです。
いつの間にか暖冬傾向から冬型の寒気に切り替わってしまったように、宮城を取り巻く空気もスッカリ変わってしまったようです。
一体その中でどういうやりとりが行われたかは分かりませんが、事の顛末はどうしても"聞く耳を持たない"人たちの口から聞いてみたいものです。
この件は平和なうちに、さしてニュースにも騒ぎにもならず、実に静かーに経過して行きました。
しかし、考えようによっては大変なことなのかもしれません。次代の天皇さまは国防などにも物申したりはしないだろうか?
それが"ツルの一声"のように、絶大な決定力を有するのだろうか?
と、書いている間にも、"あっi どうも体の左の方が熱いぞi 火事かi...いや、電気ストーブに近づき過ぎてただけだった..."
"あっi 右目が開かないよ~、そわ失明i...いや、えーい、この右目を取り巻くゴミめがi"
又、考えようによっては、これは極めて当たり前のことでもありましょう。
宮さまも一人の人間なのです。民法の番組も見ていいし、見てるだろうし、"NHKなどつまらんi"という意見も持っていいハズなのです。
慣習だからと言って、いつまでも取り巻きの言いなりになってていい訳ではないのです。
私は別にこの一件でキナ臭いものなど何も感じてません。
感じていることと言ったら、"世の中の大勢、体制といったものばかりが物を言う時代は終わりを告げるであろう"、ということです。
どこに主権があり、何が主体なのか? 少なくとも個々の人間にとってどうなのか...どこにも実体の無い、架空の君主の声に従わされていただけなのでは無いのか?
私はこの年...本当に新たなる年を迎えようとしているこの時、そうした変化の兆しを見ています。
一人の人間の言動が直ちに体制を動かす...ということは多分無いでしょう。
しかし、その位格がある総意の象徴となる(型示し)ということはあるでしょう...。
新年明けましておめでとうございます。
本年も世の中の流行とか大勢の、体制にはちっとも影響しない、全く日陰の、一個人的なことを書き連ねて行く所存です。
おヒマなら立ち寄ってみて下さいませ。
私が昨年の暮「おやi」と思ったのは、あの宮さまが会見で物申していたことでした。
そりゃ、公的な場で天皇さまでも物は申すのでしょうが、これは一宮さまが"自分の意見を申した"ということです。
それも国の代替わりという一大行事に関することにです。
で、その行事を取り仕切る宮内庁に意見を言ったら、「聞く耳を持たなかった」とのことでした。
皇室に関わることで、自身も当事者であられるのに...
そしてしばらくしたら...どうやら一個人の宮さまの意見は"まかり通って"、この年に行われる大じょう祭の施設の一部はプレハブで行うなど、かなり公的費用は削減されるらしいです。
いつの間にか暖冬傾向から冬型の寒気に切り替わってしまったように、宮城を取り巻く空気もスッカリ変わってしまったようです。
一体その中でどういうやりとりが行われたかは分かりませんが、事の顛末はどうしても"聞く耳を持たない"人たちの口から聞いてみたいものです。
この件は平和なうちに、さしてニュースにも騒ぎにもならず、実に静かーに経過して行きました。
しかし、考えようによっては大変なことなのかもしれません。次代の天皇さまは国防などにも物申したりはしないだろうか?
それが"ツルの一声"のように、絶大な決定力を有するのだろうか?
と、書いている間にも、"あっi どうも体の左の方が熱いぞi 火事かi...いや、電気ストーブに近づき過ぎてただけだった..."
"あっi 右目が開かないよ~、そわ失明i...いや、えーい、この右目を取り巻くゴミめがi"
又、考えようによっては、これは極めて当たり前のことでもありましょう。
宮さまも一人の人間なのです。民法の番組も見ていいし、見てるだろうし、"NHKなどつまらんi"という意見も持っていいハズなのです。
慣習だからと言って、いつまでも取り巻きの言いなりになってていい訳ではないのです。
私は別にこの一件でキナ臭いものなど何も感じてません。
感じていることと言ったら、"世の中の大勢、体制といったものばかりが物を言う時代は終わりを告げるであろう"、ということです。
どこに主権があり、何が主体なのか? 少なくとも個々の人間にとってどうなのか...どこにも実体の無い、架空の君主の声に従わされていただけなのでは無いのか?
私はこの年...本当に新たなる年を迎えようとしているこの時、そうした変化の兆しを見ています。
一人の人間の言動が直ちに体制を動かす...ということは多分無いでしょう。
しかし、その位格がある総意の象徴となる(型示し)ということはあるでしょう...。