精神的な歩みというのは、"これで探求は終わった"、とか"これが究極の到達点、ゴールだ"というようなことは、自分では分からないものだし、決められないものだと思います。
しかし、そのプロセスの中で"やっとここに来た"、"ここに帰って来たんだ"、"ここで安らいでいいんだ"と、アリアリと実感する瞬間というものはあるものです。本当にその人にとって、そこが究極のものかどうかは別として。
多分、その状態というのは、ある種の通常ならぬ感性によって感じることはあっても、考えることは出来ないでしょう。
少なくとも私には。それは正しく思考、マインドが超えられた一瞬でもあるのですから...
そこにはそうならしめるもの、最愛なるものとの出会いがあったのです。
"出会い...それは初めてのことだったのか? ずっとずっとここに息づき、守り、導き続けてくれたものではなかったのか? 私よりも私に近くにお在すものなのに...ずっと忘れていた...この御方と共にあることが私の魂の故郷だったのだ..."
思い描いた世界、絶え間なくさ迷い続ける思いにピリオドが打たれ、最愛なるもの、自己の魂というものを目の当たりにした時、そこに自分の本当の帰り場所を見い出すのでしょう。
思い描いている私は、それを直接知ることは出来ません。
もし、精神的な目覚めなり、一瞥体験、ワンネス体験などがあったとしても、尚もそこにより高きを目指して、分かろうとし、トライしようと駆り立てるものがあったとしたら、それはそうしたいマインドがさ迷い続けているだけ、ということでしょう。
あなたが考えようとし、為そうとすることは、そこで絶たれているはずだからです。
私はここで、"最愛なるものとの共にあること"をいくら強調しても、し過ぎないものを感じざるを得ません。
今もアリアリと感じます。我が魂はずっとそれを望んでいる...ここから離れて何が悟り、愛、平和だろうかi
目先の幸福、平和、神秘体験...役にたつこと、得になること、皆がそういうこと、自尊心...如何に人々はこうしたものに、魂の望み、声を遮ぎられてきたことでしょう。
でも、誰しもの魂は知っているのです。"これでいいのだろうか?"
どこかに不十全感、満たされないものを感じているのです。
逆に絶え間なく、何かを目指して駆り立て続けるものには、"行き着く場の無い堂々巡りは、もう終わりにしなければならない"という促しがあるかもしれません。
人は他のどんなものを誤魔化せても、自分の魂は誤魔化しようがありません。
何てこと書いてても、やがてすぐ"昼飯を食わなきゃ"となって、忘れてしまうというのも世の常だし、私のサガです。
だから、このチッポケな私の脳ミソにずっと、"そのことを繋ぎ止めとかなきゃあならぬi"...
なーんてそんな神経症みたいなこた出来るかよi
そういうことは皆あの御方が覚えていることなのです。
だから、頭ではどっか行ってしまった感じになってても、この身に覚えられているのです。
どうあっても魂の故郷からは離れられないものなのです。それは自己そのものなのだから...
しかし、そのプロセスの中で"やっとここに来た"、"ここに帰って来たんだ"、"ここで安らいでいいんだ"と、アリアリと実感する瞬間というものはあるものです。本当にその人にとって、そこが究極のものかどうかは別として。
多分、その状態というのは、ある種の通常ならぬ感性によって感じることはあっても、考えることは出来ないでしょう。
少なくとも私には。それは正しく思考、マインドが超えられた一瞬でもあるのですから...
そこにはそうならしめるもの、最愛なるものとの出会いがあったのです。
"出会い...それは初めてのことだったのか? ずっとずっとここに息づき、守り、導き続けてくれたものではなかったのか? 私よりも私に近くにお在すものなのに...ずっと忘れていた...この御方と共にあることが私の魂の故郷だったのだ..."
思い描いた世界、絶え間なくさ迷い続ける思いにピリオドが打たれ、最愛なるもの、自己の魂というものを目の当たりにした時、そこに自分の本当の帰り場所を見い出すのでしょう。
思い描いている私は、それを直接知ることは出来ません。
もし、精神的な目覚めなり、一瞥体験、ワンネス体験などがあったとしても、尚もそこにより高きを目指して、分かろうとし、トライしようと駆り立てるものがあったとしたら、それはそうしたいマインドがさ迷い続けているだけ、ということでしょう。
あなたが考えようとし、為そうとすることは、そこで絶たれているはずだからです。
私はここで、"最愛なるものとの共にあること"をいくら強調しても、し過ぎないものを感じざるを得ません。
今もアリアリと感じます。我が魂はずっとそれを望んでいる...ここから離れて何が悟り、愛、平和だろうかi
目先の幸福、平和、神秘体験...役にたつこと、得になること、皆がそういうこと、自尊心...如何に人々はこうしたものに、魂の望み、声を遮ぎられてきたことでしょう。
でも、誰しもの魂は知っているのです。"これでいいのだろうか?"
どこかに不十全感、満たされないものを感じているのです。
逆に絶え間なく、何かを目指して駆り立て続けるものには、"行き着く場の無い堂々巡りは、もう終わりにしなければならない"という促しがあるかもしれません。
人は他のどんなものを誤魔化せても、自分の魂は誤魔化しようがありません。
何てこと書いてても、やがてすぐ"昼飯を食わなきゃ"となって、忘れてしまうというのも世の常だし、私のサガです。
だから、このチッポケな私の脳ミソにずっと、"そのことを繋ぎ止めとかなきゃあならぬi"...
なーんてそんな神経症みたいなこた出来るかよi
そういうことは皆あの御方が覚えていることなのです。
だから、頭ではどっか行ってしまった感じになってても、この身に覚えられているのです。
どうあっても魂の故郷からは離れられないものなのです。それは自己そのものなのだから...