人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

晴天下に思うこと

2019-01-03 11:49:43 | 雑感
この正月は、ずっと似たような天候が続いていますね。
抜けるような青空...快晴。
我々の心もこんな具合には行かないものなのでしょうか?
誰でも心地よい、何ら曇りの無い状態で、朝目覚められた時のように、日々を過ごすことは出来ないものでしょうか?
人間誰しも寝たら目覚められるのです! 目覚めようとしなくても...
"よおし、今日この一日は、この心に何のわだかまりも障りも無い状態で生きよう!..."
という間に、突然睡魔がやって来て、眠たくなってくる...二度寝。
して起きてみたら...微睡みの中にケッタイな生き物がモソモソうごめいているのが見える...
"ああ、何で又ヘンなやつらが居るんだi...あの抜けるような空のような心持はどこ行ったi..."
何の因果かいつもこんなんですが、こんな時は、ロクな意識状態でないってことが分かります。これは、その前そうでない心持に与っていたから分かるのですi
何が自分の本心か、そうでないかは"あれかこれか"、な~んてごちゃごちゃ考えてたって分かりゃしません。
大体が、何が正しいかとか、何が悪いか、イケナイことなのかといった、どっかからの他からの声などに囚われたりするから分からないのです。
そういうものでなしに、何が本心かということも一先ず置いといて...清々しい、自由な、曇りも障りも無い心持というのは、そうなろうとせずとも、自分の心をアレコレ余計面倒なことにもなりかねないように、分析したり、ほじくってみなくとも与えられているのです。
私だけってことは、まさか無いでしょう。全国的に"晴れ"なんですから...

この先の読めない現代社会では、本当に多くの人たちは、心の行くどころを失くしてしまっているようです。
例えばネット社会では、何か煽り立てるような言動に駆り立てられる...
何かその他大勢の動きに便乗して、日頃の満たされない感情のはけ口にして発散させる...
事の良し悪しを言っててもしょうがないのは分かってるつもりです。そもそもはこの外側から律しようとする、"長いもの"にあまりにも重きを置きすぎたことが、この一億総ウサばらし、悪言、雑言垂れ流し社会を生んだとも言えます。
でも...良い悪いとか、正しい間違っているとかじゃなくて、それで心は晴れるのでしょうか?
わだかまりや障りはずっとそのままで、いよいよ我が身心に重くのし掛かっては来ないでしょうか?
私もエラそうなことは言えません。街を歩けば何かが乗り移ったように悪感情、破壊的衝動に駆られそうになることもあります。
しかし...そういうことが自ずから化せられて行くことも知らされています。
それは"ねばならない"倫理道徳ではないので、"誰にも見られてないから構やしない"は、通用しませんi
あなたの言動を律しようとするのは、お役人でもポリスでも上司でもオヤジでも、又(人が信じる)神サマでもない...あなた自身(これはあなたの知らないもう一人のあなたかもしれない)なのですから...
この絶対的な黄金律には、従わそうとするものも、従うものもありません。自ずからそこに赴くという自由律。そこから外れることは、覆い被さる不自由さによって自明に分からされる...人々の心の奥に置き忘れた、この絶対的な法が蔑ろにされて、一体何が法なのでしょうか?
この雲ひとつ無い晴天の下でただ"あなたはどうか?"、ということだけが問われるのです。





コメント
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