人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

変わらないもの

2016-07-10 12:26:25 | 詩的文章
”人間は成長しなければならない…”

こんな言葉に脅迫されたように、高みを目指して何かに励もうとしてきた

沢山の本を読み、沢山の知識を得、もっともらしい真理らしきものにも…

巡り合ったのだろうか?

年月を重ねるにつれ、賢くなり、成長したのか、と思ってきたものの…

このボケぶりは一体、どうしたものなのか…今日この頃

何かが向上したと同時に、何かが劣化する

何かを得たと同時に、何かを失う

僕はひたすらに光を求め続けた

何かの鉱脈に突き当たるまで、求めてやまないものがあった…

”一体、君は何を躍起になっているんだい?…僕には、

君が光に包まれながら、何かを目差して突っ走っているように見えるよ!

ああ…羨ましい限りだ…僕にはその情熱も、ひたむきさも、純粋さも無い…

けれど、僕には見えるんだ!…君はその光のトレースをひたすら歩み続けようとしているのが…

そうだよ!…だからこそ今の僕には、それが見えるのさ!

僕は君と違って…そうさ、相当狡猾だ、年季の入った古ダヌキだよ!

でもね…トレースは見通すことが出来るんだ!…

そう、知っての通り…光っているんだからね…”

何が成長で、何が衰退かは、公平なるあの目に委ねよう

光がか細い、微睡に消えそうなものだろうと、

真夏の太陽みたいな、眩いものだろうと、

何ら変わりなどない…

全面的照射…部分的照射、

照らされていることに何の変りもない

変わらないものこそは、何ものにも代えられない…



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オカルティズムーその共感と反感ー

2016-07-09 13:02:11 | スピリチュアル?
私が精神的なものに目覚めた頃は、精神世界、スピ界なんていう括りも無く、とにかくスピリチュアルといえば、心霊的なものを差していた、と言ってもいいでしょう。オカルトという言葉も頻繁に聞かれ、そのテイストを持った宗教も含め、これらは同列のものとみなされていたようです。
私自身について言えば、最初に縁づいたものが、そうした新宗教だったということもあり、この道は避けて通れなかったのです。
そして、そこには実に共感と反感とが交錯していました。
こうした潮流を以下、便宜上”オカルト的なもの、オカルティズム”と仮称して述べてみます。
私が人生の裏側と称しているものですが、念のために言いますが、それは短絡的に霊界のことを差しているんじゃありません。
関連したことを言っているのかもしれませんが、なにしろ私には霊界が有るとも無いとも断じることは出来ないのです。
じゃ、何かと言ったら…分かりません(笑)…ただ、”この見たまま、思われたままの表側の世界だけが、世界の全てでは無い!”という事はハッキリ知らされ、その向こうに、その奥にある領域について言っているのです。その成り立ちとか際というのは到底図ることが出来ない、だから”霊界です!”とは言えないのです! これは思われた自分に対する真我というものと同じ理解です。
要するにようわからん!のです。これは物心ついた時からずっと私の中でモヤモヤとくすぶっていたものですが、青年期のある時、内面に”この見たままの世界と別に霊界というものが有る!”という事が電撃のようにもたらされた時、ある輪郭、理解の筋道が与えられたように感じました。
とにかく、”この世を超えた超越界というものが有るらしい…”と思わせる契機が生まれたのです。
人間はある形を想定することで、理解しやすくなる(もっともそれは真に理解したとは限りませんが)という面もあるものです。
ここで霊界というものを取り上げて一例を示したのですが、神智学的な説明では、アストラル界とかエーテル界、メンタル、コーザル…と言った霊的意識の進化に応じたと思しき境界が有るとされています。私には、この各々の領域がどっからどこまでで、所謂魂の目覚めというものがどこであるのか、といったことなどがよく分かりません。実際にこういう類型的な説明の通りに、人間の意識の有り様はなされているのか疑問ではありますが、ま…人によっては、そういう説明も役に立つのかな?という風に捉えております…
ハッキリ実感して、感ずることは、精神はいくつもの境界を通るという事より、思考が機能する領域を超えて、純粋意識ともいうべきものが顕わになるという一種の関門?を通るということ…これが重要なことではないか、という事です。
このオカルティズムの傾向として、このように全ての人に受け入れられる、という種類の教説でないにも関わらず、それが一種の信仰表明のように説かれる場合が有ります。”霊界などは、霊視能力が無ければ分からないのです!”などとミもフタも無いことを言って煙に巻こう、という人も見受けられます。
私はこういう傾向には反発を覚えざるを得ません。
更には、その言説に対して自身は何らの内証を得ている訳でも無いのに、短絡的に迎合してしまう”信者たち”の傾向に対しても…
この双方の周辺には、中身の無い言葉ばかりが独り歩きし始めます。もう、馴れ合いという感じです。
私はこうした傾向に辟易して距離を置きようになったのです。
オカルト的言説に接した場合、短絡的にそれらに飛びついたりしないで、一端心象に預け、そこで照明に照らされるとか、内省に委ねるとか、練られる必要があるのではないでしょうか?
表現する上では知的理解というものも必要で、とにかく独りよがりのオカルトカブレの言説には知性も学も感じられません。
私はそうして心象に預ける事を身に覚えたのです。これを”神棚に上げる”と表現しています。
そうしているうち、ある時ポンと”ああ、成程、そういう事か…”と自ずと身が頷くようなことも有るものです。
身が頷くという事は、直観的な事、知的な事、情感的な事…さらに重要なことは思いを超えた愛のハタラキの受信、共感が相まってそうなる、といえるでしょう。
私は前記したように、オカルトそのものを否定しません。それも一つの観方、一つの表現ではあると思っています。
ただ、それは短絡的に言葉に溺れ、振り回したりしないで、神棚に上げる事でより活きたものになるでしょう…。

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人類の復活

2016-07-07 00:31:35 | 人生の裏側の図書室
 西村忠義著「人類の復活」
私が何度も繰り返して読んだ本では、多分マクドナルド・ベイン著「心身の神癒」と並ぶものです。(何故か二冊とも同じ霞ヶ関書房)
この書物と巡り合ったのは、ほぼあの”秘教サークル”と関わった頃、と重なります。私的ルネッサンスの真っただ中の昭和53年春…これは偶然とは思えません。
著者西村さんは、当時神戸新聞の記者をしていたのですが、「自己維新」という関西を拠点としたオカルト的、神道的秘教サークルと関わっていたのです。(本の内容の大部分は、その機関紙に掲載されたものです)
私はこのサークルは直接は知らないのですが、おそらくかなり神道霊学を中心に、ディープな秘教性の強いものだったと拝察されます。先日、その年の秋行った位山神業のことを書きましたが、この種のサークルというものは、この神業というものを抜きには語れません。(大本も日月神示もそうなのですが…あまり詳しくは書けません)この書が出された昭和50年頃は、このサークルに限らず各地で神業界?は活発に動きを見せ、ある時代の転機の兆候もアチコチで見られたとか…
著者はここで、身辺に起こったこと、霊感者や神業者との交流、証、独自の視点での所感などをヴィヴィッドに綴っているのです。
後半を占めているのは、これ又一寸類例のない、何かの神啓とも受け取れるような詩文です。
そこに彩られているのは、神道的なものは勿論、キリスト教、仏教、神智学…様々な精神的道のタペストリーという感じです。
ことにこの書から著者は元々キリスト者(朝鮮の獄中で聖霊体験をしたという)だったという事が何となく伝わってきます。(この他の神サマ関係の人とは、一味違った感性に引き付けられるものが有りました)
又、随所に大本、キリスト教会初め特にその霊性の後退、形骸化への冷徹な批判精神も見られますが、この時期は日本の精神世界は表側では新宗教が盛んでしたが、それを通してその裏側というか、深層に流れている霊脈のようなものを明らかにし、そこに回帰することを促しているようです。
ともあれ、この書との出会いは、私の人生の転機とも関わっていると言っても言い過ぎでは無いのです。
何しろ約20年の間、関西に移ってしまうという事はあり得なかったのですから…
D会の存在。私は一頃日本地図を見ながら、ずっと地理上の霊筋(ひすじ。これは神業界にあって必須のキーワードです!)について考え巡らしていたことが有りました。山陽と山陰を結ぶ霊筋…そこにエソテリック・ポイントとして比定される霊山の存在…D会とはその地軸に在るに違いない!…(何を言っているか分からない人はスルーして下さい)こういう事に心象が吸い込まれたようになって、気が付いたらそちらに移っていた、という次第だったのです。(笑)
要するに、私の中でくすぶっていた内面のある部分は、この書によって火が付いた、ということです(笑)
手島郁郎、サンダー・シング、ヒマラヤ聖者、大本を継承する謎の神示類…
この書は間違いなく私のこの時機の内面的指標だったのです。

私はどういう訳か、西村さんとはお会いしたことが無いのですが、その機会に遇しそうになった事が一度有ります。
神戸在住だった氏のところに「これから、そちらに伺ってもいいですか?」と電話したところ「あいにく、これからUFOとコンタクトをしに行くんですよ…」とのことでした!…それからすぐ氏は但馬の方に移られた、と風の便りに聞きました。
それから十数年後、思いがけなく以前から氏と親交のあったD会のM女史から「シャンバラ」なる雑誌を出して、定期的に但馬の方で集会を持っている、という話を聞きました。
以後も何故かスレ違ってしまい、未見のまま10年ほど前物故されたのは、何とも残念です…。

「言葉(キリスト)は人に用いられることはなく、ただひとり歩き始めており、求める霊によって受けとられた時に、その人自身に受胎し、初めて生けるパンとなるのです」
私は同書にあるこの言葉によって育てられた、としみじみ感じております。




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守護霊と真我

2016-07-06 00:04:29 | ガイダンス
心霊学などで守護霊と言われている霊的存在とされるものがありますね。
私は霊能者でないので、見たことも無いし、声を聞いたことも有りません。
何時も触れていますが、私が現臨(やたらとこういう表現をしますが、根本的に曰く言い難いもので、リアルに意識にアリアリと臨むあるもののことを、こう言っているのです)に捉えられるとか、”声なき声”を聞いたとか言っているのは、そういう事とは全く違う事を言っています。
これは意識状態の変容を伴っているという事であり、この現臨が臨んだ時、通常では見失っている自分自身を取り戻す、という感覚を覚えます。
つまり自分自身と現臨とは別在しているものでは無いのです。
こういう次第なので、守護霊というものの実体もよく分からず、それが現臨と同じものなのかどうかも分かりません。
それでも、”守護霊の実在を信じてないのか?”、と言われば、”信じている”、と答えますが…
以下、こうしたことを含んだ上で書いてみます。決まった視点が有る訳じゃないという事です。
多くの人の守護霊のイメージというのは文字通り、自分を守ってくれる霊的存在といったものだと思いますが、私も経験として”ああ、あの時も、この時も守られているんだなあ…”と実感したこともあり、そういう観方も否定しません。
ただ、私は心霊的界隈であまり語られない事で、見落としてならない面もある、という事を指摘したいと思います。
それは、”守護霊というのは、自分の本心、真我の目覚めのガイダンスなのだ”ということです。
このことは守護霊、守護神のマスター、五井昌久先生も常々言っていたことです。
五井先生は、「守護霊、守護神の導き無しに誰も悟れないのです」とか、又守護神は直霊(真我、アートマン的なものの神道的表現〉の分かれであるとも述べています。”守護霊は悟った先祖の霊である”とされていますが、私は血統とは限らず、霊統ともいうべきものからも来ていると感じています。(本心の目覚めに関わるのは後者の方ではないでしょうか?)
守護霊云々という言い方は如何にも心霊的な事と結びついており、この表現を嫌う人も多いでしょう。(実は私も)
けれど、古今東西の聖賢、自称?他称の覚者、どういう訳でか目覚めちゃった平凡な人…もう、ほとんどの場合この見えざる導き無しには、そんなことに預かる、という事は無いのではありませんか?
五井先生が”守護霊…”と決まったフレーズを使ったのは、多分自身が心霊学と縁が深かったことと、大衆にイメージが伝わり易かったからでしょう。
(現臨というのはキリスト教神秘主義でたまに使われているのを借用しているのです。私的にピッタリするので…大衆的にはスルーだろうけど…)
見えざる導きから自分自身に目覚めて行くにつれ、守護霊なるものの認識も徐々に変わってくるだろう、と思われます。

38年前の私的ルネッサンスの最中、私は自由な精神的放浪者(よく言えば神秘的アナーキスト?)のようでありましたが、一面五井先生のシンパも続けていました。(信者になるには、あまりにもイイカゲン過ぎました)
定期的に市川の白光の道場に通ってはいましたが、熱心に白光会の指導どおりの修行、祈りをやっていた訳ではありません。祈りというのはほとんど自己流で、どこで覚えたか定かではないですが、”御心のままにお導き下さい…”という祈りの形というより、”心持ち”を大事にしていたのです。そうしていると(といっても何かの行為のことではありませんが…)いつの間にか、暖かい、有難い気持ちにさせられるので、自然に身に覚えたのでしょう。
この時は、心霊的というか、エーテル的なものにも馴染んでいましたので、”これが守護霊の働きというものか!”と感じていたものです。
こういうものが、このころ芽生え、ずっと私の形なき祈りと瞑想の基調となっているのです。
ある時白光の道場で、祈りとお浄めを受けていた時、こんな我流の祈りをしていたに関わらず、終わってから講師の先生から突然「おめでとうございます!…あなたは大変守られています!」と興奮気味に言われたのでビックリした事が有りました。
私はそれで”守護霊というものは、一人一人にとってのものであって、ある教団との関わりの有る無しとは関係ないもの…”と理解するようになりました。
このころには微睡の中でも”見えざる導師”に捉えられていたようです。
そして、真我の光もぼんやりと映じられていたのです…。









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謎の秘教サークル

2016-07-04 13:32:07 | 秘教、その他団体
昭和53年春、いよいよ私のルネッサンスの昂揚感が高まりつつあった頃、どういう経緯だったか、イレギュラーな形のある秘教的、神道霊学的文化サークルが都内を主な活動拠点にして発足していました。この情報は例によって白光のK氏からでしたが、自称宇宙考古学者のK氏もその中心的メンバーの一人でした。
その名称はというと…”新しい文明の流れ”だったか、”新しい文明を造る会”だったか…主催者のU氏に確認したところ、「…どっちでもいいじゃあないか…」という事でした。(笑)
さらに、「このサークルは一体何をめざし、何をやろうとしているのですか?」と訊いたら…「それはねえ…分からないのだよ…まあ、かむながら、流れに任す、という事でいいんじゃないかな…」と、U氏はすました顔で宣わっていました。
して、それを聞いた私は…”これは全くもって、今のこの私の内面の状態をいわく言い難く、象徴しているのではないだろうか!” と、感じ入ったものです(笑)
”何の因果だか分からないが、突如降ってわいたような縁…これは自分の中に引き付け合うものが無ければ、そもそもここにはいないハズ…甘んじて、その流れに委ねてみようではないか…”私はそうして定期的にそのエーテル状のサークルに参加するようになったのです。
ただ、当初は本当に混沌としていて、サイ科学、シュタイナー的超自然学、K先生の独壇場の竹ノ内超古代秘史…と、頭の交通整理が着かなくなりそうでした。
それも、夏ごろにはある見えざる?機軸に向かって動き始めました。その契機は、U氏がほとんど個人的なレベルの大本系秘教団体?平安OO教と関わるようになってからでした。その教祖?さんは、大本といっても反出口王仁三郎派というか、非主流派の急先鋒だった福島久子に傾倒していて、その”もう一つ”の曰くつきのお筆先などを私財を投げ打って世に出している人でした。
私にはこの少し前から大本教、とりわけ出口王仁三郎への関心がもたげていて、主流、非主流といった枠組みには全く捉われてはいなかったのですが、何しろこのサークルは私の内面と連動するように流れ始めたのです。
つまり、新しい文明を造る、その方向性は、”埋もれた根源神を世に出すこと”、という大本に伝わる理念と結びつくようになったのです。
そしてこの流れから、初秋ぐらいから空想と現実が交錯したような、プロジェクトが持ち上がりました。
これは如何にも、このサークルに隠然と浸透していた竹ノ内超古代史と大本的神の仕組みのリンクの模様を物語るものと言えます。
それは竹ノ内古文献で、世界の中心(!)に比定されていた飛騨の位山の傍らにある、古代遺跡通称”祭壇石”が斜めに傾いて横たわってあるものを、水平に戻そうという、とても公的には発表出来そうにない計画なのでした。名付けて”位山水平プロジェクト”!
10月にその手始めにその祭壇石の前でお祭り、神業をやろうという事になり、私は”何となく、行かなきゃならないような気がして来て…”それに参加したのでした。
これは私には忘れ難い想い出です。始めて行った位山は曰く通り、神々しい深遠な雰囲気に佇み、その時の霧がかった天候が一層神秘さをたたえ、祭礼が終わった途端、霧が晴れて雲間から太陽と月が同時に顕れるという奇瑞もありました。
道中、もう一人のKさんという謎の人物と親しくしたことが印象に残っています。この人はかつて洗脳集団で有名なT教会の指導原理を草案したそうで、その時はとっくにそこから手を引き、私には初耳だった超古代哲理”相似象”(これは驚愕!…しかし当時の私にはチンプンカンプン)の研究などをしていました。何でも昔の自分の所業の罪滅ぼしのために各地で、神業をしているのだとか…数年後、信州の山に入ったきり消息を絶った、と聞いています。
ところで、プロジェクトのその後の進行はどうなったのか?…実は聞いてません。(とん挫するのが普通だと思います)
というのも、私はこのイベントの後、しばらくしてこのサークルから遠ざかってしまったのです。
一番の理由は、U氏がこともあろうにあのM教団と癒着するようになったからです。
同じころU氏は、宇宙考古学者K氏とも上手くいかなくなりました。
そして私はその年の暮れには、エーテル漂うオカルト的潮流からは一切手を引くようになりました。
何か一度に様々な要因が起こり、そのようにし向けられているように感じました。
私は又、何の因果か、こうした流れにも委ねることにしたのです。
そして…私の意識の深部に何が催されてきているのか、どういう転機が待っているのか…まだ微睡の中にあり、光を探し求めている最中なのでした…。







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