自殺者が増えると自殺者対策と称して自殺者の数字だけを抑えこもうとする対策ばかりが優先されるが
自殺したくなるような原因の方を無視して 自殺者だけを減らそうとするのは
底の抜けた鍋に水を溜めようとするようなものである
一生懸命水を注げば 一時的には水は溜まるかも知れないが 根本的解決には全くならない
自殺の最大要因は人間関係であり これはヒトの先天的な民族浄化バイアスによる差別排除が根本原因である
先天的にヒトは他人を差別排除することで他人よりも有為に立とうとする習性があり 主観的な優越感が客観的な社会安全性や公平平等よりも優先してしまうからである
これもつまり人間としての本質的な意識が働かず 先天的本能習性によって促される無意識な行動バイアスに無為に流されているからである
慶応出身の「塾員」が 連携して金儲け能力を発揮しても 東大出身者への劣等感からイジメなんぞをしていたのでは これは振り込め詐欺師の統率協調性と同じものであって 到底人間としての価値にはならない
ヒトという種の生物には 先天的に差別排除や懲罰で満足する習性があり これがヒトの社会の人間関係上の「生きづらさ」を作り出すのである
ヒトは決して先天的な人間性など存在していないのである
社会心理学や生物学者共は 断片的な利他的行動だけを抽出してきて「先天的人間性だ」などと言い出すが これはとんでもない大嘘であり 大衆迎合的ペテンに他ならない
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験 通称「アイヒマン実験」では 権威(自分よりも上)と見なした対象の命令に唯々諾々と服従して他人に危害を加えてしまう習性がヒトには存在することを証明しているのである
たとえ特定環境下において利他的行動が見られたとしても 差別排除をする習性が存在する以上は先天的本能習性だけで人間としての社会性が立証することは出来ないのである
非人間的行動習性を無視して 特定環境下だけで見られる利他的行動だけを都合良く陳列して「ヒトには先天的に人間性ガー」などと言い出すのは 生物学や社会心理学という「科学」を逸脱したオカルトでしかない
大衆観念的には ヒトという種の生物には先天的に人間性が組み込まれているかのような話さえしておけば あたかも自分が先天的に人間性が組み込まれた優秀な存在であるかのように錯覚し 主観的気分感情のままに差別排除をしていても構わないものだと勝手に解釈するようになる
だから差別排除がなくならない
「自分だけは絶対に大丈夫だ」と盲目的に信じ込んでしまえば もはや自分の頭の悪さには意識が一切働かなくなり 一方的にバカにしかならなくなる
たとえ慶応大学を卒業できるほどの学力成績があっても バカはバカのままであり 自分の行動に間違いがあっても誰も気付くことは出来ないのである
むしろ 「学力=知能=人間としての優秀さ」といった大衆観念を鵜呑みにし 先天的な差別排除の行動バイアスに無意識に陥っていることには一切配慮しなくなるのである
バカというのは自分からは何も検証しない
自分からは「考え」ないからバカなのである
教えられたことを鵜呑みにして 教えられた通りにこなすことしかしない奴はバカという以外に形容詞はない
学力偏差値や出身大学は人間性とは関係がない
だから大企業や官公庁でも不祥事が後を絶たない
それは 人事部の採用基準や選別能力にも問題があるからだ
官公庁はもとより 企業の全ても社会的な存在であって 金儲けだけを目的にして社会的役割を放棄して良いわけがない
「経済」とは「経世済民」の略であり 「民を救済すること」が目的であって 「利己的金儲けさえしておけば社会全体が潤う」などというアダム・スミスの根拠なき妄想観念を鵜呑みにしている頭の悪さによって
人間としての社会性というもの 人間としての本質的な価値基準というものを錯覚しているからこそ 無責任なバカが責任職に就けることになっているのである
原発事故も同様である
ハーバードのバカ学生も金儲け能力は高いのかも知れないが 貧富格差の解消にも 紛争解決にも全く役に立たない
マイケル:サンデルの講義内容の論理的齟齬 論理整合性の欠落を誰も見抜けないデクノボウに過ぎないからだ
生物学界では長期にわたって遺伝的進化が合目的に能動的に選択可能なものであると信じ込まれ チャールズ:ダーウィンの進化説を曲解したまま「生存のために進化を選んだ」という説明をしてきた
だが 論理的に考えればランダムな突然変異と環境や配偶者選択などによる淘汰圧力だけでしか起こらない遺伝的進化に目的も戦略も存在しないことは明らかである
どんなに学力成績が高くても その大半 ほぼ全員は論理的に物事を検証できないバカに過ぎないからこそ 「遺伝的進化に目的だの戦略だのが存在する」といった大間違いを誰も指摘できなかったのである
驚いたことに 遺伝的進化には目的も戦略も存在しないことが周知されてくると 今度は「生きているだけでも 立派なものなのだ」などというはぐらかしや 「創造性は自然現象」など称して遺伝的進化を無理やり正当化するような訳のわからぬ話まで出てくる始末である
遺伝的進化も生物も 全ては「結果」であって目的ではない
進化は進歩ではなく 進化任せにしておいて都合良く社会安全性や公平平等性が改善進歩するわけではない
遺伝的進化というものは膨大な失敗の中から偶発的に起きた「結果」であって その多くは祖先の生息環境の影響によって意味のない行動習性も残されており その進化の先に絶滅が起きない保証はどこにもないのである
ヒトは 人間としては欠陥品である
この客観的事実を「信じたくない」かどうかは関係がない
客観的事実である以上は主観的に「信じたくない」という「個人の感想」は「駄々をこねている」だけの幼稚な観念に過ぎない
Ende;