書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

間違ってますよw

2021年10月04日 23時48分17秒 | 日記

口がない虫というのはカゲロウの他に存在しません。

 出典:https://nazology.net/archives/97563

オオミズアオも口はないよ

ちゃんと調べてから書こうね

 

 

 ◇

夜行性の哺乳類にとって「緑色」は最も視認しやすい色でしたが、あえて捕食者に対して目立つことで

「不味いから食べるな!」

とアピールしていたのです。

 出典:https://nazology.net/archives/79070/3

 

⇨毒を持つ生物の外見が派手なのは

決して「毒があるぞ」とアピールするために自分の姿を派手に進化させたわけではない

毒があっても見た目が地味だと区別ができずに喰われてしまって淘汰されてしまうが

見た目が派手なら有毒であることが天敵から区別できることから喰い尽くされずに済んだ結果 外見が派手な個体種への収斂進化が起きたのであって 毒があるのに見た目が毒のない個体種と区別できない地味な個体種が死滅した結果であって 目的のために派手に進化したわけではない

 

ライターの「川勝康弘」 及び 編集者の「やまがしゅんいち」の解釈は間違いである

バカが多くてキリがねぇわ

 

 

Ende;

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自己犠牲≠人間性

2021年10月04日 22時05分47秒 | 意識論関連

私は 人間性の本質とは「個人が自律的な社会的責任判断選択を行うこと」だとは言ったが

「人間性は自己犠牲だ」という解釈をするバカがいてビックリしてしまった

バカは何も理解しないので もはや憤慨を通り越して恐慌すら覚えてしまう

個人が主体的に社会的責任判断選択をしていれば 誰も理不尽な犠牲を払わずとも済むのであって 自己犠牲=人間性という短絡的方程式で片付けられる話ではない

「人間性は自己犠牲」と言っている奴は 自分から自律的な社会的責任判断選択をするつもりが一切ないのである

自分が生き続ける社会の安全性のために 他人に犠牲をお仕着せようとしている時点で 自分が責任を負うつもりが一切ないのである

これは極めて利己的発想であり バカ過ぎてどうにもならない

他人に犠牲を押し付けている時点で 自分が責任判断選択をするつもりも 犠牲になるつもりもないのである

もはや傲慢を通り越して 自分だけを特別な存在や神か何かと勘違いしているのではないか

 

自己の生存において社会安全性や平等公平性といったものが不可欠であるとは言えるが これは個人が主体的に望むものであって 他人からお仕着せ強制されるようなものではなく あくまで自発的に求めるようになることが重要なのである

天動説の時代に地動説が火炙りにされたのは 天動説が間違いだったと大多数が理解し認めれば「地動説は火炙り」という理不尽な結論にはならない

ナチス政権下においてドイツ人の大半がユダヤ人迫害に異議を唱えていればヴァルター:ベンヤミンはスイス山中で自決などしなくて済んだのである

自己犠牲は結果であって 原因は大多数の無責任なバカが少数の「正直者」を殺すことで「正直者」が自己犠牲に陥ってしまうのである

大多数の個人が自律的な社会的責任判断選択をしていれば 誰も犠牲にならずに済むのであって 「自己犠牲を人間性だ」と短絡的に解釈するのは 自分の自律的判断選択の放棄であり あまりにも利己的で都合の良い曲解にも程がある

バカは誰かを犠牲にすれば自分達の生存にとって有利だと そういうご都合主義的解釈によって 自律というものの本質を著しく捻じ曲げ解釈しており あまりに身勝手で人間性を欠いた著しい傲慢である

 

バカというのは自分だけはバカではないと「思って」いるため 何ら自発的には何も考えず 自分達にとって都合の良い勝手な解釈をして他人に責任判断を丸投げすることしか頭にないのである

あまりにバカ過ぎてどうにもならない

物事を論理客観的に「理解」し「検証(考え)」ることが それほどまでに嫌いなのか それともあまりにバカ過ぎて「できない」だけなのかはわからないが バカな奴ほど声だけは大きいので注意深く判別する必要がある

 

「自己犠牲=人間性」という短絡的解釈に基づけば ヤクザの鉄砲玉も 軍事政権に服従するだけの特攻隊も 殉教の名の許に行われる自爆攻撃も人間性だということになってしまう

そいういう短絡的な方程式をでっち上げるのが バカの常套手段である

あまりにも論理客観的理解力が欠如していて 本当に同じ脳容積があるのかと疑ってしまう

「コイツ 言語話すチンパンジーじゃねぇのか?」と 本気で疑ってしまう

もはや恐怖しか覚えない

 

 

Ende;

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子供の駄々に付き合っているヒマはない(碇ゲンドウ)

2021年10月04日 13時30分33秒 | 意識論関連

自殺者が増えると自殺者対策と称して自殺者の数字だけを抑えこもうとする対策ばかりが優先されるが

自殺したくなるような原因の方を無視して 自殺者だけを減らそうとするのは

底の抜けた鍋に水を溜めようとするようなものである

一生懸命水を注げば 一時的には水は溜まるかも知れないが 根本的解決には全くならない

自殺の最大要因は人間関係であり これはヒトの先天的な民族浄化バイアスによる差別排除が根本原因である

先天的にヒトは他人を差別排除することで他人よりも有為に立とうとする習性があり 主観的な優越感が客観的な社会安全性や公平平等よりも優先してしまうからである

これもつまり人間としての本質的な意識が働かず 先天的本能習性によって促される無意識な行動バイアスに無為に流されているからである

慶応出身の「塾員」が 連携して金儲け能力を発揮しても 東大出身者への劣等感からイジメなんぞをしていたのでは これは振り込め詐欺師の統率協調性と同じものであって 到底人間としての価値にはならない

 

ヒトという種の生物には 先天的に差別排除や懲罰で満足する習性があり これがヒトの社会の人間関係上の「生きづらさ」を作り出すのである

ヒトは決して先天的な人間性など存在していないのである

社会心理学や生物学者共は 断片的な利他的行動だけを抽出してきて「先天的人間性だ」などと言い出すが これはとんでもない大嘘であり 大衆迎合的ペテンに他ならない

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験 通称「アイヒマン実験」では 権威(自分よりも上)と見なした対象の命令に唯々諾々と服従して他人に危害を加えてしまう習性がヒトには存在することを証明しているのである

たとえ特定環境下において利他的行動が見られたとしても 差別排除をする習性が存在する以上は先天的本能習性だけで人間としての社会性が立証することは出来ないのである

非人間的行動習性を無視して 特定環境下だけで見られる利他的行動だけを都合良く陳列して「ヒトには先天的に人間性ガー」などと言い出すのは 生物学や社会心理学という「科学」を逸脱したオカルトでしかない

 

大衆観念的には ヒトという種の生物には先天的に人間性が組み込まれているかのような話さえしておけば あたかも自分が先天的に人間性が組み込まれた優秀な存在であるかのように錯覚し 主観的気分感情のままに差別排除をしていても構わないものだと勝手に解釈するようになる

だから差別排除がなくならない

「自分だけは絶対に大丈夫だ」と盲目的に信じ込んでしまえば もはや自分の頭の悪さには意識が一切働かなくなり 一方的にバカにしかならなくなる

たとえ慶応大学を卒業できるほどの学力成績があっても バカはバカのままであり 自分の行動に間違いがあっても誰も気付くことは出来ないのである

むしろ 「学力=知能=人間としての優秀さ」といった大衆観念を鵜呑みにし 先天的な差別排除の行動バイアスに無意識に陥っていることには一切配慮しなくなるのである

バカというのは自分からは何も検証しない

自分からは「考え」ないからバカなのである

教えられたことを鵜呑みにして 教えられた通りにこなすことしかしない奴はバカという以外に形容詞はない

学力偏差値や出身大学は人間性とは関係がない

だから大企業や官公庁でも不祥事が後を絶たない

それは 人事部の採用基準や選別能力にも問題があるからだ

官公庁はもとより 企業の全ても社会的な存在であって 金儲けだけを目的にして社会的役割を放棄して良いわけがない

「経済」とは「経世済民」の略であり 「民を救済すること」が目的であって 「利己的金儲けさえしておけば社会全体が潤う」などというアダム・スミスの根拠なき妄想観念を鵜呑みにしている頭の悪さによって

人間としての社会性というもの 人間としての本質的な価値基準というものを錯覚しているからこそ 無責任なバカが責任職に就けることになっているのである

原発事故も同様である

ハーバードのバカ学生も金儲け能力は高いのかも知れないが 貧富格差の解消にも 紛争解決にも全く役に立たない

マイケル:サンデルの講義内容の論理的齟齬 論理整合性の欠落を誰も見抜けないデクノボウに過ぎないからだ

 

生物学界では長期にわたって遺伝的進化が合目的に能動的に選択可能なものであると信じ込まれ チャールズ:ダーウィンの進化説を曲解したまま「生存のために進化を選んだ」という説明をしてきた

だが 論理的に考えればランダムな突然変異と環境や配偶者選択などによる淘汰圧力だけでしか起こらない遺伝的進化に目的も戦略も存在しないことは明らかである

どんなに学力成績が高くても その大半 ほぼ全員は論理的に物事を検証できないバカに過ぎないからこそ 「遺伝的進化に目的だの戦略だのが存在する」といった大間違いを誰も指摘できなかったのである

 

驚いたことに 遺伝的進化には目的も戦略も存在しないことが周知されてくると 今度は「生きているだけでも 立派なものなのだ」などというはぐらかしや 「創造性は自然現象」など称して遺伝的進化を無理やり正当化するような訳のわからぬ話まで出てくる始末である

遺伝的進化も生物も 全ては「結果」であって目的ではない

進化は進歩ではなく 進化任せにしておいて都合良く社会安全性や公平平等性が改善進歩するわけではない

遺伝的進化というものは膨大な失敗の中から偶発的に起きた「結果」であって その多くは祖先の生息環境の影響によって意味のない行動習性も残されており その進化の先に絶滅が起きない保証はどこにもないのである

ヒトは 人間としては欠陥品である

この客観的事実を「信じたくない」かどうかは関係がない

客観的事実である以上は主観的に「信じたくない」という「個人の感想」は「駄々をこねている」だけの幼稚な観念に過ぎない

 

 


Ende;

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